「不知火海」製作者からのメッセージ とりわけ青年たちに <1975年(昭50)>
「不知火海」製作者からのメッセージ とりわけ青年たちに

  不知火海は九州の南西にあり、天草などの島々にとりまかれて、湖のようにおだやかな海です。とろりとして潮の流れもゆるやかです。その海に水俣・チッソ工場は約一千トンもの水銀を流しました。水俣病は一時的な中毒、もうさかりをすぎた中毒の後遺症のようにいわれてきましたが、その後二十年、海の底にしずむ水銀が微生物や魚をへて、いまも人間を一夜にして廃人にしています。かつての毒物学の常識では、最盛期以後は発病や病変はおとろえ、軽快する、と説明してきました。それが、この映画にあるように現実によってくつがえされています。かりに魚をたべることをやめても、有機水銀はじわじわと脳や内臓をおかし、数年たって人をたおすと言われています。しかし現実には人びとは魚をたべつづけています。何故なら、その魚は、見たところ鮮度といいすがたかたちといい、いくら漁師の経験に照してみても毒がありそうに思えないからです。学者の研究に、よれば、魚も神経や脳を犯され、筋肉の中に完全にとけこんで無味、無臭のまま入っているからです。その犯されかたは人間と同じです。海洋民族の生き方を色こくのこした日本人、魚を生命のかてとしてきた不知火海の人々が心に不安を抱きながらも、魚をやめることはできません。そして発症していくのです。県当局も、県の医学者も、「魚をとるな、喰べるな」とは言いません。それはこの映画の中でもある医学者の声として出てきます。「沢山たべるな。たべれば発症する。しかし、私は禁止するといえない。何故なら、この海にする十万の漁民が生活できなくなるからです」。生活とは何でしょう。病みつつけて廃人のようにたゞ生きることも生活でしょうか。この矛盾にみちた意見は、実はいまの日本全体の政治の反映です。決して、一医学者の個人的虚言や混乱ではありません。この映画には、金で補償された人々の生活と意見も出ます。立派な家を建てても、その一家に孫や曽孫が出来る希望はもうないのです。「金なんてもらわんでよか!体ば元にしてもどせ」という患者の気持が本当のところです。不知火海の漁民は一夜にして数十万、百数十万を稼ぐこともあるのです。魚と語らい、その逃げ足を追って知慧くらべする生活は、なりわいであるとともに面白いスポーツでもあるのてす。『不知火海』の映画でまず知ってもらいたいのは、最も人間らしい生き方のいまもある海だということです。汚したくない魂のふるさとのような海であったということです。
 チッソは海を病み汚し、魚を毒づけにし、そして人間を犯しました。これから何十年つづくか分りません。水銀ヘドロの除去は一度もなされていないからです。
 いま生まれながらの胎児性水俣病の若い患者さんは中・高生の年令になっています。そして友達を求め、仕事を求め、生きがいを求めています。まず映画でしっかりと会って下さい。そして忘れることなく手を結んで下さい。
 水俣は特別な町ではありません。不知火海は別の海ではありません。私たちのまわりに公害を生む工場があり、海を資本で買い占めるものがおり、自然とむすび合いたいとする人間の本性をゆがめ切りはなそうとするものがおり、そうした反自然・反人間の政治がある限り、不知火海と水俣は、明日の私たちの海と町の予兆の地なのです。
 水俣病を防くには実に簡単な知慧と力があれば足りました。海を汚さず、人を苦しめる公害に敏感になり、もし疑いあればその工場をとめればよかったのです。水俣病とその歴史はそんなに明白な真理を告げつづけているのです。
 しかし、水俣病の現実は二十年つねにかくされてきました。こんな簡単な対策を一度もとってこなかった背徳と非道の政治と「学問」があったからてしょう。まず知ることから始まるー知は力にならないでしょうか。私たちは心からこの映画『不知火海』を、みなさんの討論と行動にいささかでも役立てて頂くことを願うものです。