成功した画期的な企画(労働運動と結合した記録映画-『合理化病』) 『思想運動』 7月15日 活動家集団思想運動 <1975年(昭50)>
 成功した画期的な企画(労働運動と結合した記録映画-『合理化病』) 『思想運動』7月15日号 活動家集団思想運動 ※文章に部分的割愛があります。

 この映画によって、労働条件、休息時間、二十時間勤務制などが、原体的実体的にわかってくる。そして、職場から労働運動の全体が陰影をくっきりさせて見えてきた。それは具体的な個別性への執着の勝利であり、この映画の質を示したものである。この映画に写し出された頸腕症候群を、ぼくは「社会病」をして受けとめ、「やはりそうなったか」といった事実の重みがあった。反射神経と知覚神経の消耗、からだの一部へ集中する労働の酷烈さ、それが毎日であるとき、ついには廃脳化し、廃人化する。にもかかわらず、傍目にはその病気の愁訴が、医者によっても否定され「なまけもの」とされ「根性がない」とされる。この像は、顕在化して見ることがむずかしいものだからこそ映画で撮った。映画的方法で解析した。その必要があった。それが素直にわかる。この映画のなかでは、圧倒的に女性労働者の訴えとその労働が眼にやきつく。健康への神経が、合理化にまるごと利用された。だからこそ、本能的に適確に自分の異常に対応したのが女性だったし、彼女らの健康へのまともなひたむきさが男の労働者をも、子どもをも、あるいは夫をも、老人をも救ってくれている。さらに、組合へのつよい連帯をうち出したのは、特徴的なことである。全逓・高松の数人の女性と、京都の貯金局の山田さんのシーンにはっきり出ている。とくに山田さんか組合に入った話は衝撃的であった。
 これは実に広い意味をもった映画で組合レベルを越えて訴えるものがある。組合がこういう映画を作りあげたということが、逆に組合の存在を改めて見直すといったことになるのではないか。なぜなら、組合の映画運動のなかから、こうした質のーつまり、圧倒的に肉体を語り、一生の健康を守る根源的な闘いを描くー映画はまれであるからだ。おそらく、戦後の労働運動から生まれた画期的な映画というだけでなく、どこにでも見られるような、うわべだけ整った職場の労使のたたかいの内実が、このような真摯な「人間」についてのたたかい、肉体についてのたたかいであったということだけでも、この映画の存在価値は比類ないものである。
 「知ることは力だ」とか「学習」とか「教育」とかいった手あかにまみれた言葉に、本来の生命をよみがえらせることのできる力をこの映画は十二分にもっている。