不知火海を見つめて 『朝日新聞』 2月18日 朝日新聞社 <1975年(昭50)>
 不知火海を見つめて 「朝日新聞」 2月18日 朝日新聞社

 これは私だけのことではないので、誰しもといっても良いと思うが、水俣に来るとやたら魚がたべたくなる。もちろん、不知火海で取れたいわゆる近海魚である。カレイ、スズキ、ボラ、コノシロ、チヌなど、一つずつ味がちがうし、作りがまた多彩だ。とくに焼ちゅうがあれば飯は要らんということになる。スタッフで一、二回ならず「もしオレたちが水俣病になったら、勝手にくったし、補償はせんというだろなあ」などといって、食っている。これは一体何だということになる。
 不知火海に入った魚はどういうもんか味がよくなる。大分あたりの魚と食い比べてみたらすぐ分かるという。別に大分というのでなく、荒い外洋のことを言うのであろう。美しさはもういいようのない不知火海であるが、漁師の自慢は当たっていよう。この内海で水深最も深いところで六十メートル、温暖でリアス式の海岸から流れこむ栄養はまた、魚にとっても格別であろうと思われる。映画『不知火海』で多くのスペースをさいた、打瀬船やシャコとりやイカかご、つぼ網といった漁法をみると、海の畠に魚をもぎにゆくような暮らしである。その魚を生きたものとしてたべる。御所浦の魚屋は生けすがあって、その泳ぎっぷりをみて買う。そこが店頭なのである。それを自分の手で好みに料理して、よく水で洗い、「うん」と納得して食べる。どうして有機水銀などあろうかという気になる。ここに惰性はない。あしたに夕べに新鮮で文化のありようの一つとでもいえる食の感性があるのである。
 県も環境庁も一週間、イカ何匹以内というようなたぐいの行政上の意見はのべる。不知火海の魚の三割は汚染魚というデータもたしかにある。そしてなお、水銀ヘドロは二十年この方、一しゃくりも始末されていない以上、当然であろう。いまも慢性発症例や、かつての典型例と形をいささか変えた不全性や、合併症によるマスク型や不顕性等が続々と発見されているが、しかし、警告や注意によって寸分も変わらないのは魚を食うことである。それを食うことにいささかの怪しみももたせない不知火海があるからである。ある公衆衛生学の大家に聞くと、有機水銀に冒された魚介類も、その脳とか神経節に蓄積され、たんぱくと結合すれば、有機水銀特有の揮発性の臭気も、完全になくなり、味で区別することは出来ないという。更にその鮮度といい、みかけといい普通の魚と全く同じで、その点、かつてチッソに加担して「患者は腐った魚肉をたべたのが原因」と主張したアミン説は全く実情を無視するものと聞いた。呉の海のおばけハゼや、東京湾や伊勢湾の背びれのねじれた奇型魚と、そのよって来る毒性がちがうのである。そこに有機水銀の特異な作用がある。それは人間の場合にも似ている。一見”にせ患者” とヒボウし、患者を差別と偏見に追いやるのが、今も変わらぬ手口だが、飯もくい、動きもし、力もあり、眼も開いていて、なお水俣病特有の知覚神経、運動失調等があり、つまり人間が人間的に生きる最も大事な部分を冒している。
 漁師は魚を選ぶ。だがそのめやすは、昔からの魚の生きのよさしかない。仮に水銀があったとしても、この元気さとこの容姿ならまず大丈夫と思う。そしてたべつづける。
 学者や行政にたずさわる人のように、消費過程でどこの魚でも選べるしくみの中に生きていれば、太平洋、インド洋の魚を選ぶことも出来よう。しかしそれは死魚であり、冷凍であり、それを食う気はまず起きない。その人々の警告は、決して不知火漁民の生活にとげ程の刺し方もしていないのである。水俣湾のヘドロに申し訳的に仕切られた定置網の汚染魚をとる漁師さえ、これは良かばいと、二、三本、娩酌の肴にもって帰るのである。そして確実に、水銀に冒されてゆく。しかも、この禁漁出区は禁じられているだけに、繁殖して豊富になっており、ここから全不知火海外に旅立っていくようですらある。食べるなと口をすっばくしていっているのだがと熊本大学の医学者は言う。しかしそれを止める力はない。ある老骨の先生は、たべるなといってあるものをたべるのは不謹慎というものですといわれる。何をかいわんやである。一度でもチッソの操業のやんだことがあったか、ヒシャク一杯でもヘドロを浄化したことがあったか、である。
 水俣に移住した劇作家砂田明氏の話では、このごろの水俣のネコはバカネコが多くなった。湯堂の自宅のネコも、畠で死んだりして、ネコらしい死に方も忘れているという。世代の交代の早いネコの話はやがて人間の子や孫の話になるであろう。この多発部落の平均死亡時年齢は事故死=運動失調、視野狭窄、難聴のためか交通事故も多い=を含め男子五十一歳、女子五十二歳(熊本大・武内忠男氏)と全国平均より二十年も早死するという結果がすでに出ている。だが「この魚は少量ならよいが、多食は自戒せよ」という警告の絶対刺し通らぬ世界に不知火海はあるのである。
 賦活力の強い不知火海に魚がもどったということは、魚類にとっては水銀下の生き方が一つの法則となったことであり、その地域住民には一定の不健康と早老が定着したことを示す以外の何ものでもなかろう。そして人は魚を食べつづけ、多様に発症し、医学の”常識”を裏切りつづけていくだろう。
 患者は申請者を含め四千人に近づいている。今後周辺を洗えば数倍に達しよう。一つの小都会の人口に匹敵する。ここの地域の住民の不健康の一極には有機水銀の影が必ずあろう。そうしたら、病気とその老後は必ずチッソはつぐないつづけなければならない。この海に水銀を流したのはただ一つチッソだけで、その因果関係はあまりに鮮明だからだ。ここに、まず全住民の健康と生命の保証の城砦が出来なかったら、どうして複数企業のたれ流しによる瀬戸内海、有明海が解決され得よう。水俣の第一線性は依然今後もつづくと思う。不知火海の現実を見つめるとき、ここに触れずに左右する医学、企業、行政と国家を首をねじまげてでも面とむきあわせたい思いにかられる。