書籍「逆境のなかの記録」あとがき
前著「映画は生きものの仕事である」の佼正を現地水俣でやっていたのは二年前の夏、秋であった。その頃撮影していた『不知火海』『医学としての水俣病ー三部作』をめぐっての仕事が真綿くずのようにひっからんでの第二作となった。未来社の人びとの映画好き、とくにドキュメンタリーをめぐって倦むことない談論もこの本の出版のひとつの原動力になった。
水俣病医学の映画による中間報告をめざし、資料性を第一に考えた『医学としての水俣病ー三部作』、および『不知火海』。これらのシナリオを文章化する仕事は予想以上に困難であった。それは映画の単なる活字化だけでなく、資料と論理の厳密さを第一義にしたからである。この作業は、前作もその構成を担当してくれたスタッフ、小池征人氏に加えて、水俣に関する多くの医学的資料と事件史関係の資料について収集と研究をつづけてきた熊本・水俣病研究会の有馬澄雄氏によってはじめて可能となったものである。医学にたいして門外漢である私たちが、多くの協力者をえてこの映画をつくるべく出立させて頂いたうらには、今後、多様に出現するであろう水俣病像をいかに探索してくるかについての暗黙の合意と期待があり、有馬氏のような闘争の中から数年間の誌練をへて生みだされた実践的研究者を配し、とにもかくにも青林舎(旧東プ口改め)の力量以上の無理を重ねてもひたばしりに走りつづけた結果の産物であり、かえり見て患者さんの二〇年の水俣病病像への執心があっての事である。非力であり、未熟であり、いまとなっては取返しのつかない過誤も含みながらも、記録という一事に思いを托してきた。裁判以後に再び訪れた逆境をいかに見たか、その意味で、この表題を選んだ。水俣に今後も,”環境”があろうとは思えないのである。
この本を上梓するにあたって、石牟礼道子氏、原広司氏、日高六郎氏、そしていまも不知火の住民であるプロデュ-サー高木隆太郎氏等の文章を採録させて頂いた。心からうれしかったからである。
最後に、この本の”出版”というかたちで、ともすればたじろぎつづける私に次の水俣までの目標を与えてくださった未来社・松本昌次氏、米田卓史氏に心から感謝の意を表したい。
(一九七五・九・一〇)