不可視の水俣病 「ことばの現場」 5月号
最近になって、水俣病のもつ残酷さのより深い層がやっと分りはじめてきた。
一見、いままでの医学では、予想もできないことがらが起こりはじめ、その現実が、医学者を背中からつきとばしているといった体である。
普通にいって、中毒は一過性のものであり、ピークに達し、発現したあと、漸次、減少し、あとは後遺症とかが見られるのであるが、水俣病は、新潟大学でつきとめられたように、じわじわと、遅れて発症する例があり、また、水俣では今日も急性激症型の症状が一夜にして起こるといったさらに驚くべき事実があらわれている。
正直、だれも不幸の出現を願うものはいない。人間の悲劇に再び立会いたいと思うものもいなかろう。だが、これを水俣病といわずして何か、というような実情をみると、水俣病はまだ始まったばかりではないかと、声を大にしたくなるのである。
私の映画『不知火海』も『医学としての水俣病・三部作』も、心のどこかに、もう二度と映画を作りたくないという気持と、それを打ち消しながら、ある種の自分のし残したものを成就しなければという半ば使命感でスタートしたといえる。
元来、ふむきな科学的カテゴリーの映画『医学篇』を撮りすすむうちに、私は自分があまりにも医学について無知であることを思い知らされた。たとえば有機水銀そのものについてである。
私は、有機水銀は本来、無味無臭のものと勝手に思いこんでいた。上映会の前座に話をするときも、その点にふれて、「だから、人間がそれを摂取しても分らない」と報告してきた。それまで実物の結晶など見たこともかいだこともなかったし、人聞が毛髪に一、〇〇〇PPM近く蓄積するまでたべたとしたら、それは本来、結晶じたいが、無臭であろうと思いこんでいた。
熊大の医学部で動物実験に使用する有機水銀の白い粉末をみたときはびっくりした。小瓶のせんをとっただけで、臭気が鼻をつく。そしてまとわりつくような湿気さえある。揮発性なのである。しかし、それが蛋白質、たとえば動物の血液などとむすびつくと、その臭気はほとんどなくなるとのことなのだ。だから魚に入った有機水銀はその身の中で無味無臭になり、人も怪しまずたべたのである。
動物実験にあたって、計量された粉末の結晶を与えるのに、高等動物の猫や猿には不可能で、二十日ねずみしか、あえてそれを口にしないという。人間の有機水銀の摂取と同じメカニズムを追求し実験しようとすれば、経口摂取、つまり口ー胃ー腸ー内臓という侵入経路をたどっての方法がベストであるにきまっているが、実験上定量の有機水銀を含んだ魚を与えるのは大変だから、直接体に入れることになる。猫や猿にはスポイトで無理にものどに押しこんでの注入か、注射しかできなかったという。実に残酷なことだ。
また、この有機水銀のとりつく場所が、たとえば、単純な生態の貝ひとつとっても、無機水銀の場合、その臓器に蓄積されるのが特長なのに、水俣病の原因物質の有機水銀は、貝の数カ所の神経節にくっつく。つまりこれは人間の場合と同じである。
人間の水俣病についての多くの風評が今日もある。水俣病が認定制度により、委員の医学判断によって、適・否が分たれ、そして認定されたものにはチッソによる補償金が出るーという構造は、水俣病の発見のときからの対策の基本である。その認定作業にたずさわる医学者さえその歴史をふりかえると、”水俣病ではないもの”を探す思考が一貫して認定審査の場合の陰の規制力として働いてきたと思う。
まして、世の風評はこうである。
「漁師はくさった魚をくった」ー今日はやや変形して、「禁止地区のものを無知ゆえにくいつづけている・・・」。「闘争してまわるほど元気で、何が水俣病患者か」。つまり体も動けるではないか、めしもくい、子供も作っている。それでいて、水俣病とはおかしいではないか等々。
こうした一見もっともな風評のあり様は、一部の科学者、薬学者、医学者、行政による世論操作なしには考えられない。
有機水銀の症状の特異性を強調しないでいるのである。つまり、有機水銀はプランクトン、ミジンコの内部にとりこまれても、おそらく、腐乱性の働きをしないできたであろう。食物連鎖によりそれを摂った貝や魚の場合、その猛毒は魚の神経を冒し、脳をつよく冒し、筋肉内の血管、神経節を通じ筋肉内に入っている。もはやこの段階では、においも、味も、まったくしない。のみならずその皮膚も、眼のイキ、えらの赤みも常の魚と異ならず、運動失調を起こし、動作がかんまんになり、「横になって泳いでおった」「猫が手でひょいとひっかけてくうほどのろかった」(証言)といった形で、死滅に耐え、その生命力ゆえに生殖をくり返す。小動物、小生物ほど有機水銀下の営みを、人間より早くくり返し、世代の交代をくり返しているにちがいない。この魚は、一見して、漁師の長年の勘と選択眼をもってしでも、けっして見分けのつかぬものであった。「人間が摂取しても分らない」と半知半解でのべたことも、辛うじて誤りはまぬがれるのだ。
映画で患者さんを記録しつつ、このシーンをもし一枚の写真で撮ったら、他のやや不健康で発達のアンバランスな人とどう区別できるだろうか。胎児性水俣病の重症の子供や、指の曲がったり、ふるえのひどい重症な成人患者なら、一枚の写真でこれを記録することができよう。それは、ユージン・スミス氏や塩田武史氏、桑原史成氏らの写真家としての眼をもってして、はじめて可視的に人間そのものの肖像からそれが表現されているが、一見、飯もくい、歩きもする、笑い、語り、他人同様につとめて相振舞っている患者に、(だから軽いとか、これは水俣病とも言えん患者だという言い方がされているような)まさにそういう人の痛苦をこそとらえることがもとめられている。それには連続した時間と音声をともに表しうる”映画”しかないのではーと思われた。
ここに一匹のマウスについての実験がある(『医学としての水俣病』(病理・病像篇))。これは水俣病のもっとも進んだ研究を撮影したものだが、マウスの水俣病でもまず最初にかれらの知覚が冒される。つまり触覚、味覚、熱い冷たいの感覚など感覚系の麻痺が起こる。それも末梢から出現する。なぜそこから始まるかについて実験中だが、いまのところ、その末梢神経を、まず「選択」するという有機水銀特有の性質しかつきとめられていない。つまり結果のみ分っているのである。この知覚障害は、他人の眼には分らないものである。本人が「ここがしびれています」と申し立てて初めて分るのである。「手がジンジンする」とか「味噌汁の塩加減がいっちょも分らん」という。ここに、発症の一つのメルクマールはあるのである。あきらかに有機水銀特有のあらわれ方なのだ。しかし医師が審査会で、これを「患者として採用かどうか」の場合、まず否である。なぜなら、まだ、自覚症状の域であって、他覚的に(よそからみて客観的に)とらえられないからということになる。症状や症度を計器的、可視的に、証明できない以上、知覚障害のほかに視野狭窄とか運動失調とか難聴、構音障害という、いわゆるハンター・ラッセル症候群の病像がいくつか重複していなければ、(いやなことばだが、審査会の言う)「採用」ことになりにくいのである。つまり”引き算”の患者認定制度だからだ。この場合、何か証拠さえあればとなると、「バイオプシー」といって、足首等の、あとで比較的後遺症の残りにくいすじ・末梢神経を少しえぐりとって、顕微鏡で検出するーそれを病理的所見と照合するー、つまり生体実験と紙一重の”実験とその証明”に依拠することになるのである。こうした研究途上にあって、さっきのベたようにいまも多くのラッテ(ネズミ)で実験がくり返されている。その研究で私がびっくりしたのは、末梢神経の束の中に二つの系があり、一つは外部からの刺激を脳におくる知覚神経系と、逆に、指令を末梢につたえる運動神経系が、末端では一本になっている。その部分を顕微鏡的に見ると、運動神経細胞のやられ方は少なくとも、その時、すでに知覚神経細胞は壊滅的にやられているのである。この実験はラッテだけかというと、「人間もほぼ同様のパターンである」という。とすると、人間の場合も力と運動の機能障害はそれほどめだたなくとも、人間としての知覚感覚系は確実にこわされていることになる。それは逆に魚のことを想い出させる。つまり、その魚が見た眼には新鮮であっても、その魚は、いまひとつ、運動がまともにできぬ程度に汚染され、病んだまま捕獲された。(つまり死魚は、海底にるいるいとあろうが、漁師はそれを釣るわけはなく、また海の中ですでに死魚となっているものをたベるわけがなかったーつまり、死をまぬがれた、水俣病の魚が採取されたのである)そうした状態のままヒトにたべられた。そしてそのヒトもまたやはり、動けるが、人間の五感を冒されたまま、有機水銀の影響下の生存を強いられているのである。こうした有様は、貝から魚、猫、人間に至るも、基本的にはまったく同じなのだ。つまりそれが、今世紀半ば、初めて人間の体験した「水俣病」というものではないか。そうだとすると、これは既成の古典的医学から照合判断すべきものではけっしてなく、病像のあらわれをたえず、患者さんを通じて観察し、考え、あらゆる可能性を予測さるべきであり、今後あらわれるいかなる形についても、柔軟に対応する医学観が必要とされるのである。
もうひとつ、動物実験にみるように、そして、食物連鎖によるというー工場プラント内の有機水銀が人間の胃袋に入るまでのーあらゆる生態系の共通点を横型に思考するとき、おのずと魚や猫や人間のすべてへの研究が同時併行してすすめられ、つきとめるための努力があってしかるべきはずである。映画『疫学・臨床篇』はゆえに必要であった。『医学としての水俣病』を撮りながら、もしこの知りえたものが運動とむすびつくなら、どんなに患者さんたちにとって力になるだろうかと考えた。そして、私は一記録映画作家として、そのストレートな表現に心くだいたつもりでいる。しかし水俣病史の中の一「中間報告」にすぎない。
チッソ水俣工場から四百六十トンの水銀が流された。熊大医学部・病理、武内忠男氏の報告をもってもそのうちのわずか二五ミリグラムで最低発症値に達するという。この膨大な水銀は、いま水俣湾を中心に不知火海全体に拡散しつづけ、魚は病める体で生殖、増大しつづけているのである。それはかつてよりは遥かに徴量にせよ、その総トン数は多様な型で拡散しおえて、いまも生物のなかに浸透し、生きつづけている。そして、いまもその貝や魚をたべている人間が、不知火海には十何万人といるのである。
「水銀はこわい」ということは漁民にも常識である。しかし、死魚やくさった魚や、おかしなものは絶対たベんという形で、自分なりの判断をたてて盛大にくいつづけているのである。だが、毒魚も一見、鮮魚と同じ様態であるということがすでに研究の中で明らかであるのに、何とその人たちに説明し、なにを目安にやめさせることができよう。それならばこうは言えないか、「不知火海においては、一見、普通にみえる人もまた、中毒者=水俣病患者である」と。これに対し、「魚と人間と同じレベルでは見られない」という声が、私の耳にいくたりもの研究者のそれとして残っている。不知火海の健康被害者を水俣病研究の系に引きよせて考えることを拒んでいるように思える。水俣病の病める歴史の中で、今日よりひどい雑言がふりまかれている。「銭ほしさのアル中よ」「ニセ患者」「新認定患者」「わざと検査のときによろけてみせる練習をしている怠け漁師」「補償金亡者」、もうたくさんである。「病気のことは患者に聞け」と言いつづけている医師(熊大・原田正純氏)のことばをいつも思い出す。
「不知火海」で描きたかったのは『医学としての水俣病』では語れなかった矛盾の世界である。
つまり一見日常的に生命世界をいとなむ不知火海は確実に水銀に汚染されている。しかし生き、よみがえることをやめないでいる。魚も、プランクトンも同じである。沿岸住民は、すでに有機水銀をとりこんできたし、今後も魚を摂取しつづけながら、生きつづけるであろう。そしてこの住民に水俣病の諸研究の成果をつたえ、いまよりすこしでも健康な生活を指示し、救済しなければならない。どこにも一線は画せない総体としての不知火海がある。
この自然と人間の世界に眼をふさぎ、医学的にのみ認定と棄却にふり分けようとする医学はまさに視野狭窄状態のさなかにある。この医学状況こそが、不可視の”社会の病い”としての水俣病そのものではないだろうか。