不知火海への順海映画行を前にして 御礼返上 「展望」 1977年7月号 筑摩書房
かねて念願の不知火海の天草南岸地帯と離島での水俣病関係映画の巡海上映の計画の仕上げの時期に、私たち上映班スタッフ主催による「不知火海をかたるタベ」をさる七月二一日、盛況裡に開くことが出来、望外の激励をうけることとなりました。
いままで私ごとの出版記念会やら「励ます会」などの申し出はいっさい固辞してきたものですが、今回はあつかましくもカンパこみの会費五千円という破格の催しを、私たち巡海映画班自身の主催でやるということ自体、半ば恥かしく、半ば不安の入りまじった気持で落つきませんでしたが、当日、三百人に及ぶ参会者を得て、改めて不知火海の潜在水俣病患者の問題を私たちの計画に透視し、関心をよせて下さった人びとの多いことを思わされました。この日、名ばかりの”パーティー”形式ながら、この機会に石原環境庁長官の水俣訪問や、ストップしている熊本県の認定審査会に対する環境庁の新方針への評価や、川本裁判の最高裁上告に対するたたかい方などをはっきりと知りたい気もあって、石牟礼道子さんや原田正純助教授(熊大)、後藤孝典弁護士、不知火海総合学術調査団代表色川大吉氏らのスピーチ、講演でプログラムをつくりました。
かつて、一九七〇年五月、訴訟派患者の東京陳情のころ、熊本の「告発する会」や石牟礼道子さんたちがマスコミを通じての情報の伝え方ではなく、じかにひとりひとりの知識人、文化人、市民に口づたえに水俣病をつたえ歩いたころのコミュニケーションのありようを、どこかで再現してみたかったからでもありました。そしてまた、四氏とも、私たちの計画の混沌たる着想の時期からのつよい支持者ばかりであり、それぞれに、今後の水俣・不知火海のイメージと重ねあわせてのお話で、聞いている私たち自身が更にこの計画の意味の深さをさとるといった中身のこいものでした。「僻地、辺境から立ち去っていった島びとは二度と”文化”を還流させることはなかった。忘れ去られた土地、おきざりにされた島々にとって、都からの文化がもちこまれるとき、人びとの心はいかに華やぎふるえるか、そのさびしい、しいんとした海辺の人びとがいかに人の訪れをまちのぞんでいるか、映画をかついでいって、どうかそうした人びとに会って下さい」。ーこう語る石牟礼さんの「さびしい」という発音のひびきに、心うたれるものがありました。私たちはこうした不知火海のみんなに会いにいくのかと思い返し、何か苦労ばかり先立つ思いにまつ赤なロマンの灯の宿る気さえしたのです。
かつて御所浦島にロケハンに出かけたとき、釣竿一本もたない、見なれない私たちに集まった視線。話の中で、水俣病のひとことを口にし、話を切りだすのになんと廻りくどい話をし、内心の葛藤にくたくたになったことが、揚句のはてに、「ここには水俣病などなか、死んだ魚など喰うとらん」といわれて、ただ首うなだれるのみだった記憶が背すじから這いのぼってくるのです。そこに、今回、マンガ映画、短篇映画とくみあわせるにせよ正面きって私たちの水俣病の映画を見てくれと言い、そこの人びとにむき合うことになるーそれは存在対存在が拒否しあうときの断層、その錚々たる壁にむかつて歩くことがこわかったのです。
しかしこの日、飛行機でかけつけてくれた原田正純氏は、スライドをまじえて不知火海沿岸の潜在水俣病患者の地下の層の厚さをこまかくデータをあげて語り、医学が医学だけでこの水俣病事件を解決できないとき、映画は映画で、科学者は科学的探究で不知火海にアプローチしてほしいと、五十分にわたってのべられました。氏にとっての水俣病事件とはただに身体被害や自然破壊だけでなく、地域の共同体の破壊、一家一族のきずなの自滅、社会の病い、政治の病巣としてのミナマタ病なのです。単なる修辞としての「終りなき水俣病」ではなく、調べるにつれて、始まったばかり、その果てのいかに遠いかの実感をこめての話でした。これは私たちへの再教育であり、上映と並行しての調査行動の重大さを改めて考えさせる、じゅんじゅんたる説教でもありました。「味方はつよい」と私は殆んど感嘆に近い気持で耳を傾け、心づよいものが蓄まるのを感じたのです。
撮影中、不知火海を一望できる矢筈山などからみた風景も、ひとたび浦々の漁家集落百三十三カ所をくまなくフィルムをみせて歩くとなると、それはなんとも広く思われます。
所によっては四、五戸かたまった断崖の下の浜辺の集落もあります。陸づたいには通うこともなかった舟の生活で作られた古い集落をたどることは、虫のあゆみに似ています。自動車三台で最低速でゆく旅です。いまそのように覚悟するものの、私たちを骨のずいまでおかしている近代的合理主義の性はその浜辺の人たちからどのような仕打ちをもって打ちかえされるか、いまは分りません。しかしかりに恥多いことばかりとしても、それはそれとしてひとつの体験として、調査の一項に加えたいと願うのみです。