丸木位里・俊さんのたて三米、よこ十五米の『水俣の図』について 「水俣」 第122号 4月 水俣病を告発する会
和紙に墨だけで描かれた水墨画は、その紙質の丈夫さと変質しない炭と、さらににかわとみょうばんを練りといたとうさを重ねぬることによって、ゆうに一千年以上の強さを保つといわれる。映画フィルムが百年ももてば上上というのに比べ、その生命力は歴史の息の長さを予定している。「アジアのもっともすぐれた発明だ」とお二人もいわれる。このいきつもどりつして見るほどの大幅の絵、いわゆる障壁画を若いころ学ばれた位里さんは 「もともと、この種の絵は天皇の住居や、大仏教伽藍のために描かれてきたもの」といわれる。しかし有名な「原爆の図」の連作もそうであったが、今回、「水俣の図」はいわば畢生の大作として、いつに水俣の受難者に捧げられるべく制作された。
かりにも生涯のおわりを賭けたという意味をもつ畢生などということばはつつしむべきであろうが、この大作を描き終る日をまつように、位里さんは心臓発作に襲われ、医師に数カ月の強制入院をいいわたされた事情があるからである。八十歳近い位里氏にとってそれほど根をつめられた仕事であったろうし、俊さんにしても、人生の節目のような重いお仕事であったにちがいない。まだ映画をとっていたときはそうも感じなかったが、フィルムのクローズ・アップのなかのお二人に、激しい精神的格闘がはっきりとよみとれた。
今回の映画はプロデューサーの高木隆太郎のお願いをお二人が快くうけて下さったことからはじまった。私は所詮、製作過程をとるなど、聖なる一回性にうちこんでおられる二人にお願い出来るものではないと思い、ある我慢をしていただけに、一気に撮影に入ってしまった (その二重の緊張がお二人を疲れさせてしまったのではないかと心が痛む)。
一月半ば、すでに全七幅中三幅の絵がほぼ描き上げられていた。天草の島々の山なみを上限に、位里さんの太い筆で漁船の漁どりの風景を圧するように、ヘドロを吐く太い排水口。その黒い泥の下、狂う猫・魚、たこ、いかが同種同族ごとに苦しみ、あつまっている。その連続したうねりに導かれるように水俣病被害者の群像が描きすすめられていた。人物像は「わしよりこの人の方が巧いでのう」と位里さんにいわしめるように、もっぱら俊さんが分担されていた。俊さんの画に触発され位里さんが構図を飛躍させる。それに霊感を得てさらに俊さんが人物を重ねていくといった、合作といおうか、競作といおうか、静と動のぶつかりあう創作過程がそこにあった。横長の大作の中心には微笑する実子さん像が置かれており、そのまわりに多くの患者像のある中で、ひときわ大きくいくつもの母子像が描かれている。主題でもあるようだ。それは水俣での初の訪問で遭った諌山孝子さんの発作にむきあったときのその強烈な体験がもたらしたもののようだった。
「けいれんで、両あしがすり合わさって、いまにも皮がむけ血がでやしないかと思いました。私は何もしてあげられず、涙をこらえ、ただみているだけでした。伊東紀美代さんやお母さんが抱きかかえて、その足の間にタオルをはさんで。何度もやってきたことでしょう、ゆきとどいた手当をなさっておられた。私はつくづく水俣病をちっとも知っていなかったと思って…。」
その後一週間、離島から天草まで患者を訪ねての旅だった。その人びとを胸に深く折りたたんで、帰られ、あとは一気呵成に多くの受難者像と肖像を描かれた(私の数えたところ百九十人)。私にはあれ
は誰、これは誰と分る気がする。しかしその観る人と正対する顔の表情にわざと瞳だけ描かれていない。俊さんは「視線が動いているんです。見る人にその眼をみつけて頂きたいんです」という。事実、右にゆき、左によけ、あとずさりしても、画面の人物の眼にとらわれる。動きのある画であり、それにつれてこちらもつき動かされるたぐいの画なのである。
あるとき、同じ身の丈に成長した娘をかかえた母子像が一筆の線でえがかれ、それに肉づげのコンテが肩をさすっていた。そのとき俊さんは娘の女の部分を描きながらひとり涙を流しておられたようだ。その絵はのちに位里さんの濃淡のすみで沈められていく。しかしその闇の中にもより鮮かに浮き出してくるのだった。
「水俣には光り輝くものがある。患者さんのすばらしい闘いもあれば、生きようとする洗われたような輝きもある。一方加害者チッソも描かねばならんとあれこれ考えたが、今回は受難者の患者群像を不知火海一ぱいに描ききることにした。”明るい水俣”なんてものはない。補償金をもらっても何もならん。金じゃ救えん問題じゃ」と位里さんはきっぱりと言われる。「次は湯の鶴のごはんを自分で炊いて泊れる温泉にいくことにわしゃ決めとる。そこでまた描くよ」。
「原爆の図」を第十四部「鴉」までに二十五年連作された世界的にも稀有の画家夫婦である。こんどの水俣の連作のために、位里さん・俊さんの御健康をいのらずにはいられない。
(不知火海深海のロケ宿にて、八〇・三・三〇)