八ミリ映画運動の七年間 『全逓新聞』 4月4日号 全逓信労働組合
三月中旬、全国からあつまつた全逓八ミリ映画の活動家・同好の士約二十名の集団合宿が二泊三日、伊豆でもたれた。七年前、八ミリ映画コンクールとして出発したものだが、”合宿研修”の形をとるようになって二年目、その中身は雲泥のひらきを見せた。出品作への評価という、いわばタテ形関係から、顔を並べて語るヨコ形の関係に変ったことがそれである。
合宿のなかで自分の作品を他人の眼にさらし、自分の体験を打ち明ける自己批評を誘導力にして観る人の批評・意見から学ぶというヨコ形の学習の要望がたえずふき出ていた。そうしたいと思う。しかしそこが映画で、早く観るという速読術はない。参加作品十九本、学習作品三本、のべ正味七時間、映写の手間ひまを考えれば一日分が観ることにさかれる。そしてそれが万事、の基礎である。それに私の”演出・編集論”、高岩仁氏の”実戦的カメラ術”といったレクチャーの二本の柱をたてると、参加者の意欲の高まりのさなかに、二泊の三日日がきて時間切れとなる。せめてあと一日という追加分が切実に見えてきただけ、八ミリ映画研修の意欲がふくらんできているのであろう。
詩・文学・浪劇・音楽のサークルとちがって、この組合活動の中での八ミリ映画運動にはこれといった手本がない。いま全逓のこの運動はともかくも先頭を走っており、他組合をみるにどこにも後続ランナーがいないのである。それだけに、この全逓八ミリ映画運動の七年間の体験は、日本労働運動のなかの映像活動としていま白紙の上に綴られている。先験的で貴重な体験である。映画として運動を創り出すといったような気持からではなく、仲間の闘いと団結をフイルムで記録しておきたいといったものである。”素人主義”まるだしの取りっぱなしフィルムもあったし、自分だけが分る日記代りメモ風フィルムもあり、退屈至極であったが、その素材とモチーフは全逓労働者でなければとれないものであり、関心をひきつつけた。だがコンクール形式では、その発展の糸をつむぐ場たり得なかった。
この状況を変え、”合宿”による集団学習に進ましめたものは第五回(一九七九年)コンクールの二作品「赤バイクからの告発」(佐賀支部八ミリクラブ・村山一夫氏他)と「緊急避難」(東京南部支部・映画製作委)の登場を契機としてであった。前者はバイクの振動による白口ウ病の原因を追跡しその治療と対策要求までを作品としてほぼ完璧に仕上げたものであり、後者は集中局を舞台に腰痛症の激発に対する自衛力行使を大胆に訴えた作品である。これらはすでにかなりの組合員の眼にふれたであろう。高岩仁氏の「合理化病」「前線」と時にセットで上映され反響をよんだ。この二作の出現によって、八ミリ映画運動は質的に飛躍したと私は感じた。八みり映画運動を志す人の目標値がひとつ出されたからである。
一方、初心者が、合宿に含まれる講習会的なプログラムにひかれて参加しはじめた。これは無条件に歓迎すべき事ではある。しかし表現の力の差は当然ベテランと開きすぎ、ときに”落ちこぼれ”現象すら出かねなかった。
「だからこそです」と、たとえば長崎のベテラン宮崎計彦氏はいう「その人たちと、私のフィルムを目の前の叩き台にして教えあいや、ヒントの出しあいが必要なのです。そうスケジュールを組んでほしい」。これは合宿の魅力をいいあてた貴重な提言である。講師中心の研修方法を仮に縦形とするなら、もう横形の学習要求が熟れているのだ。
最近の作品傾向についてのべよう。組合・家族会等の主題と別に、地方の文化・民俗・芸能の発掘をめざした作品群の登場である。昨年の釧路・池田支部・石本鶴雄氏による公民館を中心に青年たちの「太鼓」修行を描いた作品につづいて、今年は、札幌の輪島由己氏の開拓者の足跡とその像の建立をえがいた「拓望の像」、青森の太田省三氏の民俗芸能「えんぶりの舞と太鼓」の伝承をたどって八戸の一揆との関連を描いた「偏東風(ヤマセ)の地」などがそれである。
「組合の八ミリ、闘争記録ばっかしでは固くるしくて八ミリクラブがのびんとです」(佐賀・村山氏)という発言のその答えのような作品である。今回注目を集めたのは「ふるさと」という作品である。「その技術と感性において、プロもたじたじ」と高岩氏をして言わしめたそれは、ただ映像の確かさと美学だけでなく、ふるさとへの心根の質感が鮮明に把握され、哲学的抽象にまで至っている映像感覚がみられた。祭りと子ども、稲と水車、水の命と老人の年輪、大気と日傘の女といったカットをつなぎ、こんな高い水準の作品が前触れもなしに出るのだから、実際の全逓の映像表現者の地力の埋蔵量は見当もつかないとさえ思わせた。
同じ”九州勢”の宮崎氏の年間記録「仲間」はいつもながら精気ある作品であるが、佐賀のようにグループ製作の段階にまで、あと一苦労があろうと思われる。この人にスタッフが加わったら、佐賀と並びたつ映像活動の典型地点となるであろう。その一例ともいうべきものに、佐賀の村山氏が構成、おもに編集録音を助けた、熊本、荒尾の木村茂則氏の「78反マル生の記録」がある。まだ初心者に等しいといわれる木村氏が見せるカメラの”眼”は圧巻であった。
およそ組織労働者の職場闘争のディテールの記録で、このように切実で逼迫したカメラが世界的にもあったろうか。まさにそれだけは撮るぞといわんばかりに執着するカメラによって、反マル生闘争を描きつづけた多くの八ミリ作品の集大成のような”現場の反労働者的職場空間”が描き出された。
カメラをもった労働者・勤務時間以外に、職場に入った組合員は「関係のない人」として「出て下さい」と小づき回される-そのような、文章にもかけない疎外の質感をこの映画ではじめて私は知らしめられた。
同じく山形貯金局の統廃合阻止闘争記録「人として生きるために」はこと思わしめた。
八ミリ映画の話題性、そして親しみ、格好の表現行為であり、つまり不朽不滅のテーマであろうが、そこにも表現上の習作としての努力が見られはじめた。
交流体験について初参加の埼玉の川井津治氏は「今まで趣味的に八ミリをとっていたが、職場や仲間を描く、こうした方向があることにびっくりした。自分も試みるつもりだ」その目からうろこの落ちるような話され方が私を驚かせた。二泊三日の合宿は八ミリ映画活動にとって貴重な暦日である。
「”文化”で腹が」と時にいわれる。文化活動蔑視の風が根をたたないとも聞く。その中で、この八ミリ活動家が家計の中からー作数万円分ものフィルム代を捻出し、時間をかけ、しかも手弁当、旅費もちで合宿し、徹宵して映画を仲間と語りあうさまをみるとき、私は新らしい価値としての映画活動、意志的な文化の胎動を明々裡に思わずにはいられない。
(一九八一・三・二〇)