丸木夫妻の位置についてひとこと 金沢上映用パンフ 9月11日 <1981年(昭56)>
 丸木夫妻の位置についてひとこと 金沢上映用パンフ 9月11日

 ■金沢のひとびとへの手紙

 丸木夫妻の位置についてひとこと 土本典昭

 誰しもがそうであるように、天下の偉人伝”を読み、歴史上の”人物”に教えられる‐‐‐‐それは私にとっても生きる上でのはげましでありました。では現代の
生き方の指標はどこに、つまり誰に求めたらいいのでしょうか。
 「鴎外の婢」というたとえがあります。文豪森鴎外のひざもとに暮した婢(したばたらきのひと)にとっては鴎外は凡凡のひとで、何ら偉とするにたりなかった一介の男であったというものです。
 現代、洪水のような情報のなか、右から左からの石なげ合戦のような乱世の今日、たとえば、「原爆の図」から三十年、「水俣の図」へと絵筆一本で夫妻の合作を描きつづけられた丸本位里・俊の世界はいかようなものであるか。私にとってそれは混とんたる渦の中のマイルストーン(一里塚)のように見えるのです。
 童話をかき、或いは山水画を描いているだけでもユニークなお二人が、あわせて計百五十歳になられる晩年に、表現上至難なテーマのひとつ、生きてなお死にひとしい水俣病の苦しみと、海のよみがえりへの希求を一幅の障壁画にかかれることは、現代を場所を異にして生きる私にとっても大きなはげましでした。
 そして二人大きな普通のひとでありました。親密に交わうことのできる人たちでした。
 水俣の今日は、「告発」の闘いと並んで、患者とともにどう生きるかの”共生”の時代に入ったように思います。身を物かげにひそめずに、生きるままを陽の光の下にさらし、水俣病患者の印を背負う人たちの存在こそ、あるがままの闘いなのだと思います。それを描くにいたった御夫妻の一年間の記録です。それはとりもなおさず、私たちの映画「水俣の図・物語」をつらぬくテーマになりました。 「死んではならない」と位里さんはいいました。
 石牟礼道子さんの「海の胎」のテーマ詩や武満徹さんの「海へ」も、ともに、水俣への直視のはてに放たれた明日への視線であったと感じています。どうかこの映画をみて、多くのことを語りあっていただきたいと願う次第です。

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 八一年九月十一日