羽田澄子・その映画の独創と孤立 『毎日新聞』 6月16日付 毎日新聞社 <1982年(昭57)>
 羽田澄子・その映画の独創と孤立 「毎日新聞」 6月16日付 毎日新聞社

 羽田澄子の新作「早池蜂の賦」と、それに先立つ「薄墨の桜」のニ編について、映画生活三十年余にしてはじめて自由に自分で作れた作品とよんでいるので、このに作に限って羽田の世界を語ってみたい。
 文学の世界に私小説というジャンルがあるのと同様、映画にあって不思議はないといった感想から、私は、フィルムをマチエールとした私的世界の展開としてのそれとのべたことがある。だか正確かどうか。横文字でつづればプライベイト・フィルムという極めて個的な美意識・美学のかたまりといった鋭角的な前衛映画の一ジャンルがある。それともちがう。また広義にいえば、作家が私を語らなくて作品となるものかという大かっこ的な言い方もある。だが羽田の作品についてうかぶ私映画という感想とはそのいずれとも異質に近い。その根本に現実をゆるがせにしないドキュメンタリーの方法がある。それを”私”の眼でデフォルメすることへの抑制が働いている。自分の感覚への甘えが微塵も働いていない。「薄墨の桜」における桜の四季にせよ、「早池蜂の賦」の里の春夏秋冬とその自然に律せられた里びとの生活・労働にせよ、ディテールをきちんと描く。そのための長期取材を怠っていない。というより作品の背景についての全体像の最低取材時間の取り方がある。
 南部たばこの消滅の一事に、南部の馬とともに冬を共にしたいわゆる南部の曲屋の生活様式を、更に生活意識が新建材住宅の中でどうあっけらかんと変わるかを描く。しの笛や竹の笛がいまも作られていることに意を用うべきなのに、ビニールで”代用品”をつくって間に合わせるといった、文化の変容も冷静にみつめる。これらは遺産を大事にする”精神”や、彼女本来の”愛着”からいえば対極に位置する事柄である。早池蜂の里に同化しようと心いそぐ観客には少なからぬ異化効果をもたらす。しかしそれを丸ごととり入れながら、山と里とおかぐらを一つにつみあげ、”万感”なるもののマルチ的視点をひとつにまとめ上げていく。その編集にあたって、最終的に排外されるたぐいのできごとが、彼女には深いこだわりをもって位置づけられているのである。ではそれは資料的価値ゆえに残されたのであろうか、そうではない。それらの変遷の中にも、いまもうけつがれる執拗な里びとの営為としての、おかくらが、山が、里が、再発見される構造となっている。静かな語りロだが、実は極めて饒舌に、必死に語っている。変わるものと変わらざるものを複眼でみとどけようとしているのである。
 彼女はしばしば、企業の中での映画で、凹みの部分や、カーブの底の部分、非活発のシーンを時間的処理の中では、そぎ落とさざるを得なかった無念の一端をのべている。この手法はそのことの反語的証明でもあろう。それ故の”反復”のそしりは、彼女の予知するところへみすみすの損と分かりながら、精一杯、その全体性をのこし、その全体性で彼女にとっての私を語ろうとしたものだということが分かる。つまり映画生活三十年にして到達した非職人、非商業主義の映画的営為なのである。その意味で、彼女は自主制作でしかこのたぐいの試みが果たせなかったし、三時間余の時間が「早池蜂の賦」に要したのであろう。
 この二つの作品に見られるように、映画の題材とテーマを選ぶにあたって、彼女はすでに他の人によって発見された価値、とくに文章で定評を得たテーマといったたぐいのものに無関係である。観た、感じた、撮った、考えた、まとめた、その全過程で彼女のすべてをしぼりつくして「私の作品」となした、というにつきる。そのテーマは、彼女の固有の選択であり、創作である。他者の暗示でも依頼でも、共鳴でもない。そこには闘争も社会的緊急性ある問題もことさらない。しかしそうした対象を選んでから始まる表現の問いが彼女の問題なのである。その意味で、最も良質な私小説の精神に照応する羽田澄子の「私映画」の独創と”孤立”をみるのである。
 あえて孤立というのは、この映画がもとより社会運動の底流にのったドキュメンタリーではなく、ましてある種の映画運動の一貫でもなくつくられており、それだけに上映についての困難が大きく予想されたからである。今回の東京・岩波ホールでのロングラン上映は記録映画の公開の形として、その意味で無謀ともいえる冒険に立っている。この映画の声価はこの上映できまるのであり、ヨーロッパのグランプリ作品の本邦初公開といった名声と今は無縁のうちに始まったからである。同じく記録映画をつくるものとして、この冒険の成功をいのりたいのである。そしてこれが全国に流れる高い水位、水圧を示すものであることを心から望まずにはいられない。