本橋成一「上野駅」のあとさき 「アサヒカメラ」 4月号 朝日新聞社
一九六八年、写真集『炭鉱』、八十年『サーカスの時間』を発表した本橋成一さんの最近のしごとのひとつが『上野駅』である。東京・東中野のだだっぴろいプレハブ製の仕事場は、その半分が上野駅の制作スペースであり、あとの半分は作家上野英信さん筑豊炭鉱の写真史の編集で占められ、上野さんは居心地よさそうに写真家趙根在さんと焼酎をなめなめ、膨大な資料ととりくんでおられる。本橋さんにとって炭鉱はまだ現在進行形であるのだ。
私が本橋さんと一緒に仕事をしたのは、画家富山妙子さんが、金芝河に捧げるスライド『しばられた手の祈り』(一九七八年・火種プロ)であり、彼は映像を、私は構成を担当した。富山さんのリトグラフの接写、コラージュ、新聞の接写、金芝河の写真複製に加えて、彼がとった金大中氏の大統領選挙戦のときの大群衆の写真を使った。それは金大中氏を前景に数十万人をフレームにおさめた構図であり、おそらく、韓国人報道陣にとっても最良の足場からとったものに違いなかった。大群衆の視線と興奮が金大中氏に集中しているその焦点に彼のカメラがあった。私は彼のその足場にひそかに驚いた。
写専をでて間もなく、筑豊に上野英信さんを訪ねたとき、彼を当節、群をなして炭鉱を撮りにきたカメラマンたちのひとりと見ていた上野さんは「ひどく無造作に極貧の炭鉱離職者の家庭に住み込んだり、山奥の盗掘の小ヤマにさがったり、かと思えば離職者の吹きだまりである北九州工業地帯の労働下宿にもぐりこんだりした」と、彼の四年間を誌している。
小沢昭一さんとの大衆芸能の記録の仕事から生まれた「サーカスの時間」も足かけ五年、ここには人びとの記録の背景にあるテントや楽屋裏に踏み板、木箱の椅子、ビニールの敷き物、吊りロープにまで、彼の記憶が残っている。それも主役といいた気なフレームで画中の人物とそれらは分離されることはなかった。それらの空間における人びととの時間のぬくもり、関係しあった生理的記憶がやさしく定着されていた。
こんどの上野駅連作もひとと駅との接点が主題である。背景のない人物はなく、人物のない空間はない。旅客者が長い年月、使いこなしてきた駅が画かれている。今回、その構成をたのまれた私は「上野駅の終焉にかろうじて間に合ったな」と思う。本橋さんはこの人間的な広場は残ってほしいという。
管理されつくした東京駅、金に換えうるスペースは売りつくした新宿駅のようになってほしくないともいう。しかしこの空間は、国鉄解体の巨大な波によって消滅する運命をまぬがれ得ないと思う。ぬくもりの残る駅のダブダブは削りとられるだろう。だがもし、後に、都市、広場、駅と人間、このマカ不思議なるものの生理があらためて論じられる日がくるとすれば、本橋さんの写真は、いくたびも顧みられるにちがいない。駅の間、人の間、時間の間。それらをたばねて「上野駅の幕間」(現代書館版=四月中旬刊行予定)と題名をつけた。愛惜と無念とこもごもである。