映画『原発切抜帖』は“私憤”である 『平民会議』 第28号4月 平和と民主主義のための知識人会議 <1983年(昭58)>
 映画『原発切抜帖』は“私憤”である 『平民会議』 第28号4月 平和と民主主義のための知識人会議

 新聞を、証文をとるつもりで切りぬいてきたんだというと、スタッフのひとりノセ君は、若い仲間を代弁して「なんともモノマニアックな匂いがする。きようあすに使うアテがあるわけでもない記事を、セッセと切り抜き貯めこんでいく。…貸した金はいつまでも忘れない高利貸のようなもの…その心理は公憤というより私憤に近い」と映画の副え本「原発切抜帖-現場記者の証言」(六四頁・青林舎刊)のあと書きに皮肉をこめて書いている。
 そのご当人たち七名が、戦後三十八年分の核と原子力平和利用に関する大小一万二千点の記事を洗い出した。日に日に皆の目の色が変ってきた。新聞もテレビも見ませんと揚言したハリウ君はコピー係で刷れたものを読んでいるうちに怒り出し、次々にアイディアを出して迫ってくるようになった。彼らの生まれる以前にナカソネらが原子力開発予算を突如上程(一九五四年三月)、あと既成事実のつみ上げの時代に育った人たちである。しかもその上程の三日まえに、ビキニ水爆実験で第五福竜丸は被爆していたのだ。あと上程が十日おそかったら、この大ニュースの前に原子力開発のスタートはふきとんでいたかもしれない。私をちらりとみて「あんたらバカか?!」となじりそうな眼になる。大人は何をしていたんだと。
 企画から製作の半年間は鈍器で頭をなぐられるような発見-といっても既報のものばかりだがーがあいついだ。私の十二年分の証文では分らなかったことだ。たとえば「原発事故で死者はない」という安全神話の流布に先立ち一九六一年、米の原発で三名死亡し、あまりの高汚染に、救援隊が三十秒しか遺体処理ができず、収容後も、廃棄物ゴミ扱いで処理された。その救出百五十時間。もうひとつあげる。五七年の外電豆記事「ネバダの核実験直後、兵士二千人を爆心地に突撃させた-人間の忍耐度を試すため」とある。二・三十年の時差をへて、いまアトミック・ソルジャーとして救済を求めている人たちの原簿の記事である。今、放射能の人体実験時代なのだ。
 原発の危険予測(?)すら朝令暮改のさなかにある。映画は八二年二月、米原子力規制委の死者見込一万三千人を痛みをもって撮った。だが映画発表直後の十一月、同委員会は「十万人の見込」と訂正した。映画は古色蒼然となった気がした。私憤やるかたないわけだ。
 (記録映画監督)