水俣のおかげで日本の海がよく見えるようになってきた 「毎日新聞」 7月28日付 毎日新聞社
原子力船「むつ」は、現在ただの船「むつ」として青森県陸奥湾内大湊港に係留されている。放射線もれ事故を起こした原子力船は追われ、佐世保で「修理」のあと、運転しないという条件付きで陸奥湾に期限付きの仮住まい。国は母港を他へ移す必要に迫られ、そこで浮かび上がったのが同じ下北半島の北側、津軽海峡に面した関根浜。
「関根浜では、漁民たちの努力で出稼ぎへ行かなくてもいい漁業がやっと最近になって軌道に乗ったのです。これまでのように、貧しい漁村がこうした開発の候補地になったケースとはまるで逢うのです。貧しい漁民たちが補償費のアップをねらってゴネているのではない。ここは日本でも有数の”魚の銀座”です。そこに底建て網を設置してサケやマス、イワシをとり、沿岸漁業を再生させている。漁民たちの生活の基盤そのものなのです、この海は」
カメラは五月二十九日の関根浜漁協総会の混乱・流会から回り始めた。土本氏を「北」へ向かわせたのは関根浜生まれの役者、松橋勇蔵氏との出会いから。「原爆の図」で知られる丸木位里・俊夫妻の、水俣とのかかわりを中心に描いた「水俣の図・物語」を北海道で巡回上映していたとき、松橋氏を知った。彼はその漁村で生涯を終わった母親のことを中心に、一人芝居で関根浜を語り続けていた。いつか下北を撮ってほしいーとの松橋氏の呼びかけに土本氏も約束をしたが、こんなに早くカメラが回り始めるとは考えていなかったという。資金のアテもない。「水俣の図・物語」の時のように一般へ協力を呼びかけていくことになるだろうが、それもまだこれから。
「これまで撮ってきたものでは、海を売ってしまってからの記録がほとんど。今回は売る売らない、海を奪っていくものと守ろうとする両方が撮れています。これは記録映画の作家としては身の震えるような仕事ですね。どうやって海が奪われてきたのか、の記録にもなると思います。
自民党内部にさえ金ばかり食う『むつ』を廃船にしろ、という声が出てきていますが、問題は『むつ』だけではない。下北半島は『むつ小川原巨大開発』に始まって『大間町・新型転換炉』に核燃料の再処理エ場まで構想に入っているといいます。原発は百万キロワットのもの二十基という計画が、現在の電力が余る状況の中で四基だけとなりそうですが、ここへ原子力関係施設をワンセットにまとめ”核公開”化する構想は消えないと思います。コンビナート時代からウラン時代を経てプルトニウム時代までにらんだ一大実験地域を考えているわけです。それだけのメリットがなければ関根浜に原子力船の母港など造らないでしょう」
土本氏の構想の中には映画の遠景としてF16爆撃機が配備される三沢基地や「海峡」防衛基地問題まで入ってくる。下北の住民たちの不安を総体として映像化していくという。だからタイトルは「関根浜」ではなく「下北半島・関根浜」。空撮や水中撮影なども含め、関根浜の動きと下北の一年を追い、来夏には完成させたいという。16ミリ、カラー、一時間三十分の予定。インタビューのあと、関根浜漁協の動きが気にかかると土本さんはまた下北へ向かった。ちょうど村あげてのコンブ漁の季節だ。
「漁協三百六十七人のうち現在、反対は百一人。二百六十人は海を売ってもいいといっている。賛成が圧倒的に多いと思うかもしれないが、二百六十人のほとんどは山林へ出たり畑へ出たりして、あとはコンブ漁に出るだけの”漁民”も含まれているのです。百一人ががんばっているわけだが、きわどいところ。これは漁業法が、組合員は多くいた方がいい、と準組合員まで入れるようにしたからです。実際、漁業だけで生きている人は全体の三分の一程度の漁協がほとんど。だから”合法的” ”民主的”に海を奪うことは容易にできるのです。こうして日本の海は次々と取られていったのです。列島買い占めは土地ばかりではない。実は海も買い占められていたのです。海は我々の暮らしの基礎に全部つながってくる。海を売ってしまうことが、いかに日本の将来にとってマイナスになるか、を都会人にもわかるように撮っていくつもりです。撮り始めてわかったのはやはり下北は日本のへき地だということ。勝手に生きろ、と国に捨てられていたところです。そこで、いま漁民の健闘で、都会に出なくても食える方法をやっと獲得した。それを「日本の海運業界、造船業界のために」(安田科学技術庁長官の発言)あきらめてくれ、なんてどの口でいえますか。我々のために海を守ってくれるのは、そこで生きる人たちなのです」