不知火海をなぜ撮るか なぜ今からか 『水俣』 第156号11月 水俣病を告発する会 <1983年(昭58)>
 不知火海をなぜ撮るか なぜ今からか 「水俣」 第156号11月 水俣病を告発する会

 ”不知火海”水俣病という考え方と、その”元年の記録”という表現は、一九七七年、近海映画活動を不知火海沿岸で行った、そのレポートをまとめるにあたって考えついたことばだった。水俣の水俣病でなく、不知火海全体にある疾病と異常を、いまから改めてとらえなおしたいという欲求からだった。
 それから六年たった。この間、水俣、不知火海のできごとやくらしを映画にしてきたものの、その文章をまとめたときの思いに立っての映画はつくれなかった。その主な理由は、不知火海が底なし沼のように深く、太平洋のように広く、どこから手をつけていいか全く茫洋たるものに見えはじめたからである。幸いこの間、不知火海総合学術調査団(第一次・色川大吉、第二次・最首悟団長)の仕事をお手伝いしながら、その資料発掘や厖大な聞きとりと記述(これは『水俣の啓示』上下巻にまとめられた)を見るにつれ、さらに不安と動揺をくり返した。

 海と人の交わり

 私にとって海との”遭遇”は水俣病であり、不知火海である。この海はいかなる海か。日本の海のなかで、どのような位置にあるのか。この問に背を押されて、機会あるごとに日本の海辺にいった。いく先は原発立地の海岸が多かった。フイリッピンにいっても、バルト海にいっても、海とヒトの交わりを見た。今撮っている「下北半島・浜関根」の映画も、原子力船「むつ」の問題とともに視点は海とヒトにいく。そうするうちに、不知火海の特性のようなものがおぼろげながら見えはじめる気がした。不知火海から、再び不知火海への回帰が、その視点移動にそってできるかも知れない。
 たとえば不知火海では夫婦で漁するめおと舟が奇でもないが、長崎県の外洋五島列島(ここは天草の漁民が一本釣、はえなわで親しい島々である)、この漁民には物珍しい習俗になっていた。外洋の荒波に女は連れていかない、家にのこすといった気持からであろうか。不知火海はまさに庭なる海だった。
 津軽海峡に面する下北半島外洋部でもそうだ。大回遊する魚群やイカ。高価な底魚のウニ、アワビなどを専ら獲る。魚種は不知火海とくらべて少ない。しかし一群の数はおびただしい。この海で、太刀魚つりや、ボラかご漁などはみない。網に入っても、物のかずには入らない。ボラを誘うダンゴ餌にバターを混ぜるといった魚との交信のこまやかさはない。女の出るのはせいぜいコンブ漁ぐらい。やませの襲う海はまさに「舟抜一枚下は地獄」である。妻をのせる海ではなかった。
 海は極楽浄土である不知火海漁民の死後観にひきかえ、ここの人は死ぬのを「山さに往く」という。恐山に帰る。海に帰るイマジネーションは育たなかった。

 漁村の原型が…

 「海は母」とは不知火海にまさにふさわしい。陸から岸、礎から曾根、そして沖の潟へと採取と漁のしごとはなだらかにつながっているのが不知火海だ。それは入江深い日本中の漁村の発生時の原型のすべてを備えているようだ。
 この海にチッソは”海の希釈力”を信じるふりをして毒液をたれ流した。いま沿岸のミカン畑の農薬も、海のそれをたのみとしている。一方漁民も海を信じ、魚とのなじみゆえに魚をたべつづけた。自然のサイクルにとけこまないたぐいの毒物、有機水銀の毒性を知らなかったからだ。二十世紀の新生毒物ゆえに何の抵抗力もなかった。それゆえに沿岸十数万人は皆、健康上の何らかの障害をとりこんだ。
 この半世紀にわたる不知火海と人間とのかかわりを”不知火海水俣病の時代”として見つづけなければならぬ、それには、いまをふりだしとする”元年”とみなければならぬ、そんな思いを消すことはできなかった。

 天草の水俣病

 対岸天草は十年近くまえ行政の手で調査されひとりの認定患者を出すにとどまった。行政的には非汚染地区である。その上島で、ひとりの老女が認定され、ついで、その夫が死後解剖の末、二人目の認定患者となった。天草で公式に、しかも行政の手によってではなく、原田正純氏らの自主検診によってである。そしてその一族十名近くがまだ保留である。水俣の水俣病が、天草の水俣病と公認されるまでに二十五年近い歳月を要したのである。そしてその一族の所在を知り得た私たち自身、ついに老人たちの記録を逸した。その無念がのこる。つよくのこる。

 生活史をこそ

 最近十数年前の自作を見た。画面の中心には意図した人や物象が撮れている。だがその背景や片すみにアッと驚く物が映っている。廃船・廃具、そして一変した工場の旧設備、四馬力の船など。当時は目もくれなかったものである。いまそこから生活史が喚起されてやまない。厖大なものを何から撮るか解る気がした。その一つひとつを画面の中心に据えることから始めることだ。映画は私より大きい作業カを備えている。その発見が私をはげますのだ。