演出メモ「海盗りー下北半島&浜関根」(この&に注意) 1984/1/9 <1984年(昭59)>
 演出メモ「海盗りー下北半島&浜関根」(この&に注意) 1984/1/9

A、“僻地”下北への視点、その転換値

〇自然とのつりあいのとれた生活を“希求すべき人間本来の価値”とするなら、都市、中央こそ文化砂漠であり、僻地であるという見方が成立つ。

〇下北が僻地ゆえに残された自然と、その地に見合った生産と富をひとつ漁業に見、あるいは林業に見ても、反都会型、反物質文明型の生活のあり方を、あらたにレイアウトするだけの“後れた土地”ゆえの可能がある。水俣が見すてられた土地ゆえに、新たなこころみが可能であるように。

〇「東北こそ未来の地」という逆説をネアカに根底におきたい。

〇一方――あきらかに人の住む地として、過去一貫して極寒、不便、疎外の地であった。その棄民にひとしい扱われ方をしてきた下北風土(自然、社会、歴史)の根底とディテールを1カット1カットでつみ重ね、現状、その僻地の上に、原子力、軍事をのつけていることをあわせ、リアルにみつめること。

〇幸い真冬のロケである。そこで雪=白(シロ)のカンバスの上に、どのように人間の生活の原色、原木質を描けるか。
例えば①海の上の人間と魚の質感。人の吐く息、ひげの霜、まゆ毛の結氷、魚の血、撲殺された瞬間のサケの眼、人間のあらい行為(屠殺)
例②家、のき、ガラス窓、エントツ、ひとつの空気圏をつくっている、民家、その中の暖炉、まきの燃える色、チンチンとわく湯気の音とその白い蒸気、はだかの指、手のひら―。台所での水仕事、女たちの労働、火の神、井戸の神、台所の神、戸外は雪々雪である。
例③交通、歩くことから走ることまで(人、車、つまり雪の上の移動)外に出るまでの防寒の身支度、足回り、首周り、頭巾、寒さにさらす眼のまわり。
以上が雪にシロとどう対比的に、アカイか、ぬくもりの色にとらえうるか。―この生きる上でもしたたかさ―この生きる上での計算と智恵を生活のなにげないものとことのUPで描ければ。

原船「むつ」に対する人間たちのかべ、今後の闘いの壁、―抵抗素の材質、人間の太さ、強さの原色を示すことになろう。

B“原船、原発からみたくらしの変化”ではなく
“くらしからみた原船、原発のもたらすもの”の視点、つまり、そこの生活者の視点に立つこと。

〇今まで当然ながら、事件を追った。主役は原船、原発であり、そのおよぼす不安、影響を念願においてとってきた。それらはあと資料、別のコメントで客観的に補うことで足りるであろう。足りぬは現地住民からの見方である。

〇いまは必要なのは“原船”にも“原発”にも心託すもの希望をもつようにしむけている、現地のひとの僻地脱出の願望をすなおに見ることにある。

〇そのためには漁業だけでは喰っていけなかった人々、とくに農業、林業に転じ、更に出稼ぎに追い立てられた人々の“生きざま”をひとつ確実にきくこと(北関根or浜関根)
その生活史からみれば改めて海の厳しさ、つらさ、見るだけで途方にくれるような冬の海の姿が見えやしないか。
近代的な漁徳丸と磯舟とのちがいの間に、漁業から逃れた元漁民との差が視覚化されうるだろう。

◎ そこに原船をもってくる!そんな海にしか原船をもってこれなくなっている!日本の“最鋭、最新の技術”がこの極北、極寒、“僻地”にしか、もってこれない。―この手づまりの状況―これを一歩おいこむには、予定地の冬のすざまじさを描くことで逆にうきぼりに出来はしないか―これだ冬をテーマとする今回のロケの視覚的キーワードと想う

C“「海盗りー下北半島浜関根」”のメインテーマ化にともなう補強項目

〇「海盗りー下北半島浜関根」とのテーマの設定には、各原発反対運動が体系的には明らかに出来なかった海は誰のものか―という問題のアプローチがある。
海は国のものという昭和24年の漁業法改正に秘められていた要因をいま改めて白日の下にさらすこと―このために、解説として水口憲哉氏による“海は誰のものか”のレクチャー。シーンを3~5分必要としよう。県条例、県の許認可など、すべてそこに合法性をもっている。(漁民は海の“行使規制”を守ることで漁業をゆるされてきたにすぎない)海盗りの基礎ここにあることを一石、うっておくこと。

〇佐井漁協、ATR原発の隣接地のここは、関根とちがって組合が、地区の全域の漁業に責任をもつまでに強くなっている。それらは現状の海と漁場に合致している方針を積み重ねてきて今日があり、明日があるのであって、温排水ひとるとっても、-(マイナス)要因でしかない。
松橋漁業部がー企業であり、-漁法であることの弱みが海を売らせかねないとしたらーそしてここの地の人も組合の純化をねがい、漁業者本来の組合の建設を次のこととしてねがっている(幸四郎)-ここ佐井には組合の力で団結して抵抗する理由を根拠が、その漁協に見られるであろう。

〇六ヶ所、新納屋(小泉金吾)&新住区(斉藤行雄)の取材。
この冬と寒さも、海と田畑あってこそたえていける。田を奪われ、春夏の海もたのしみに出来ない人にどうしてシャンデリアがある家であろうと住居するに値しよう。「ヤマセの新住区は白い地獄だ」(斉藤氏)棄民、海と土地であってこそ、人々は白い冬を耐ええた。いまその耐えるべきものを奪われている。そこに真の棄民の意志が働いているのだ。
(小泉氏は、(一坪運動がもしあったらもっとがんばれたという)
なお小泉氏は亡びた村の蒙昧のすべてを引きとって空しく保存している。

D,若い人、中幹の漁師の“海獲り”俺にとっても海の自負、自慢がたり、大ボラでもいい、かりにカラ元気でもよい。いま漁師を選んで悔いるか、悔いないか。一攫千金の夢をかなえるものとして、「むつ」がらみでどのように思案をめぐらしているかー畜産、浜でのインタビュー、もしネアカな声がとれれば、それは今後の私たちとの絆の赤いめじるし

E、「むつ」解析、仕上げ段階で「むつ」にある老朽化の指摘。
しかもなぜ実験にこだわるのかの分析をコメントでのべる。高木仁三郎氏などの資料による分析、あるいは土本との交互のこめんとで
「新原子力半島化」の解析、資料のひみこみとして高木氏と土本、松橋勇蔵三者で

撮影項目として(今回と終わりまで)

① 能舞を介してみる冬の生活(冬の森、冬の村、冬の家、冬のぬくもり、火)
女の小正月ゆきき、煮炊き、供物に見る生活色、共同性、その衣食住、これらのプロローグにも可能は独立した「冬の世界」的に独立シーンに

② 冬の港、漁民の朝夕、凍てつく船、船具、氷結と根〇きの岸壁、それをそして大謀網漁、シンボリックに、意図をクローズアップできめて。

③ 厳しすぎる生まれた地
北関根の寺、神社、小駅、そこから出て行くであろう出稼ぎ一代のひとのインタビュー
その生活の場としての現在、海への率直な感慨、現在長い冬への耐えなど、都会の見方と対比して。

④ 原船、冬の各天候下の「むつ」
予定地の天候下の「海」

⑤ 佐井漁港、組合像とその仕事の地域と密着、反ATRの本音。

⑥ 六ヶ所再訪、(本文参照)新納屋と新住区の2人のインタビュー

⑦ 若い人はインタビュー、番屋での気炎、豊漁のときの底建ての人たちのよろこびの声

⑧ レクチャー的コメント 水口憲哉&高木仁三郎(資料の山の中で)

⑨ 新聞及び、闘争資料、組合文書など、

―――今後の闘争の展望と映画化の範囲、

〇裁判に踏み切るかどうか――いまのところ弁護士主導型で行う可能性があるが、絵として撮らない。なぜなら“中央”から指導、支援であり、現地の内発的うごきは少ないからである。ラストに字幕でたりる

〇現地一つぼ地主運動は可能ならばとる(陸地)

〇冬の海、それは手も足も出ない。予定地の海区はこちらもむこうの拒否して立入りをゆるさない―その厳しさを描いてとどめる。

〇工事再開は2月末となった。これについては身仮の時点で決定したい。