「海盗り」とさかなとりの戦い記 『海盗りー下北半島・浜関根』上映用チラシ 4月 青林舎 <1984年(昭59)>
 「海盗り」とさかなとりの戦い記 『海盗りー下北半島・浜関根』上映用チラシ 4月 青林舎

 まず、なぜいま下北か。大都会・束京にすみ、映画をつくる私たちは実に坐り工合のわるい生活をしている。アジア、アフリカの人びとに遭いたくもなる。しかし確実に出遭わねばならない人たちがこの日本にいる。
 原船「むつ」、巨大開発、原子力半島、そして海峡封鎖の沿岸、すべてを背負わされた下北半島の人びとがそれだった。
 「ニッポンの植民地、ニッポンのなかの第三世界がここにある」と思った。
 
 水俣は猛毒水銀の産業的利用をほしいままにされた結果だった。原爆の平和的利用の結果はまだ顕然化していない。しかし二万四千年という半減期をもつ猛毒プルトニウムを、この下北半島で生産、消費、蓄積しようとする意図がこの一年さらにくっきりと見えてきた。原子力船「むつ」の航跡のなかからである。
 
 私は漁民は海を恐れぬ人びとだと思っていた。わらわれた。「口に出して言わないだけ、毎日毎日がこわいですよ」と。
 さかなとりと、かれらは自分のことをいう。
 海の底を知り、魚の暦をそらんじ、そして毎日、海の色、波の形、風の音、空と雲をよんで、自分で船を出すか否かを決断する。それには智慧と強靭な生命感覚が裏うちされている。
 人間の魅力的存在として、さかなとりに本能的にある先輩を感じずにはいられない。その先輩たちがいつも近代の受難をまっさきに受ける。

 平和なむらへの侵入者は、まず海盗りからことを始める。海盗りたちは、ぜったいそこ生きものを見ない。利潤だけをその海に見る。巨大な企業集団がむらがり、ついで陸を盗る。原船・原発からの稀釈された放射線物質、コンビナート、石油基地からの廃棄物、そして軍事専用の海域、そしていま下北半島北辺部に、忌みきらわれるプルトニウム中心の核サイクル基地が’作られる。下北半島は日本政府・企業の繁栄のいけにえの地にされているのだ。

 「海を盗られてから、しみじみ知る海のありがたさ」と下北のさかなとりたちは痛む。だがまだその海は蒼い。「いまなら海を獲り返せるのでは……」という思いしきりである。そんな気特で、あえて「海盗り」という題名をつけた。