原子力船は来られるはずはない―下北半島の漁民の見え方―
本州の最も北、さいはての地、青森県下北半島はいくつもの観光のめだまがある。
まず恐山がそれだ。いたこの口寄せで有名な霊山である。硫気の地を這う岩肌、吹き出る温泉。この地にも半島にも温泉が多い。津軽海峡沿いの漁村には干しコンブとスルメの匂いが流れる。最近の映画『魚影の群れ』はこの海峡で、マグロの1本釣りをする漁師の、大魚との死闘の物語だ。海峡は魚の群の通りみち、イカ、イワシ、そしてサケの魚道だ。
それにもうひとつ、日本カモシカと”北限のサル”の棲息地としてしられる。こうして並べてみると野趣の地のようだが、漁師町には活気があり、小ざっぱりした住宅がめだつ。
視点をかえ、軍事、企業、政治の地図として見ると半島は一変してみえる。マサカリの柄のにぎりの部分には原爆貯蔵庫があると事あるごとに問題になる三沢米軍基地があり、北にむけてのレーダー・アンテナ網はアメリカのペンタゴン(参謀本部)に直通している戦略拠点。マサカリの刃の部分には明治以来の軍港大湊があり、それぞれ米兵、水兵姿の自衛隊員が肩で風をきって歩いている。半島ただひとつのむつ市の映画館は「生徒と自衛隊員割引き」である。
三沢の北の六ヶ所村は東洋最大の工業コンビナートが構想され、原野に20万新都市が出現するはずであった。その北の東通村には、現在の日本中の原発総出力2000万キロWを一箇所にあつめた一大原発集中地帯がつくられる計画であった。(その分の土地はすでに取得された)それらの計画はしぼんでいるが、あとでのべるように何がもってこられるか分らない。
また、下北半島は「本州、北のオキナワ」ともいわれる。空からロケット、機銃による攻撃訓練専用の射爆場。さらに対空火器の実弾射撃場。それに戦車砲、戦艦砲の性能試験用射爆場。その三点が太平洋岸につらなり、ジェット機の爆音と、とび上がるような銃音、砲声がたえまない。むろん、その長い海岸線と沖合いは補償金と引きかえに演習期間漁船の立入り禁止である。
最近これに「原子力のメッカ」の名が加えられ電力業界によって、最も危険でダーティな再処理工場、廃棄物のゴミすて場がここに集中されることになった。まるで無人地帯のようは扱われ方である。しかし十数万人の農民、漁民が腰を据えて暮らしているのだ。
「ここは北限のサルしかすんでおらんと思っている。日本中の危険なものをみんなもってくる」とかれらはいきどおる。
私は原子力船『むつ』の母港に決まったむつ市の浜関根という戸数百数戸の漁村で百日間映画を撮るために滞在した。『むつ』の港のために浜一番のコンブの藻場と定置網の漁場一部がなくなることで村中の人が心を痛めていた。
なにしろ、家々の前浜で、磯舟を浜からおろし、いわゆる「浜めぐり」といって一日、漁のしかけ、ウニ籠、たこはえなわ(ともに海底になわをのべかごやハリをつけた漁法)を見回すれば、一日二万円にはなる。春か夏、浜にうちあげられる流れコンブをとるだけでも四、五千円にはなる。村びとはまるで縁側からサンダルをはいて、庭の草木をいじるようなおもむきで海に出ていた。その海に母港ができる、売ったら勝手に下りてはいけない―という話だ。
大きな港、しかも、漁船の入れぬ、原子力船専用の港で、昭和四十九年に原子炉の試運転中、わずか2パーセントの出力で、危険放射能もれ事故をおこしたいわくつきの『むつ』の母港になるという。
この船は、二十一世紀の原子力商船、コンテナ船のパイオニアということで、造船界、海運界の花形の船だった。当然その母港は東京湾の横浜か、あの”みなと神戸”につながれるはずだったが、放射能の安全性が不確かなために、大都会周辺のどの港からもことわられ、ついに軍港大湊近くに一旦、母港の地を得た。だがあの事故によってむつ湾からも追い出された、ついに”辺境”浜関根につながれることなったのだ。
「もし安全で地元がそれで経済的にうるおうという話が本当なら、どうして、こんな辺鄙なところさ もってくるもんか」と村のひとは一人残らず思ったという。「危険な放射能(原子炉)をつんだ船だから、ここにおっつけるだべし。安全なら横浜港にもっていったはずだ。」
むらのひとは漁業一本でやる上で、近年いろいろ工夫を重ねてきた。底にすむ高価なひらめ、かれい、たこを採るため、海底にしかける底建網や、回遊するイワシ、サバ、サケをとる大がかりなしかけ(大謀網という)の定置網などで立派にくらせるようになった。
若者も戻っている。中学卒の若さでも年収350万円以上、皆四輪駆動、ターボエンジンの車や、ステレオをもてるようになったという。
「でかせぎしなくともくえるようになった…。まだまだ漁をのばしていける…これからという楽しみのところに、国から国策だから海をよこせといってこられたわけさ」
さて、海をうる、うらないは地元漁協の組合員できめることになっている。戦後、海辺の住民はほとんど、ここの関根浜漁協に加入した。半農半漁がふつうの暮しだった。
組合員は367名だが、長い間に農業だけにうちこんだり、つとめにでたり、でかせぎが中心になったりして、海だけで生きる専業漁師は100名たらずになった。それでもこの数を全国の漁村とくらべれば、中身の濃い”漁師むら”である。だが”組合員”の三分の二が”海を売る”ことに同意すれば海は売られていく。
「ひとり最低300万円は補償金がつく」といわれて、名目だけの組合員はぐらついた。
一方、年1000万円以上水揚げをあげる専業漁民には”目腐され金”(みただけで汚れるたぐいの金品)に見えた。だから反対したが名目だけの組合員を束ねた数には勝てなかった。たった四票さで負けたのだ。なにもない平和なときなら一緒でかまわんが、海を売る売らないときの、一丁前の漁師面して…」と専業漁師は怒る。にらみ合い、分裂もする。
口や県当局はいくつものインチキをした上で、総会決議として、海を盗ったがその手口はきわめてはっきり見えてきた。「ちゃんと組合のきめ(定款)通りにやれば売られない」と勇気のあるふたりの漁民が漁業権を死守するために行政不服や裁判で闘うことを決心した。海だけで生きる何十人の漁民は心の中で声援を送っているらしい。「わしにはたくさんの漁民がついている」とふたりは断言してはばからないからだ。
「漁師は魚をとって国民に食べてもらうのが仕事だ。『むつ母港』が国策かどうか知らんが、少なくとも、わしらは国益にはつくしておる。こんな海を売れるものか」この事件がむらにころがりこんでからそれまで法律や「原子力」などに縁のなかった漁民が、こむづかしい六法全書(漁業法など)をよみはじめ、なかには新聞の切抜きまでして勉強をはじめた。
「しかし下北半島全体がえらいことになっとるなあ。わしらは北限のサルじゃあるまいし、がんばりますよ」と負けていない。海を売らなければ、原子力船「むつ」はこられない。
一旦、うられかたに見える漁業権を再びとりかえるべく漁民はじわじわと動き出している。これは「無駄な抵抗」とは言わせなくない。
(映画「海盗りー下北半島浜関根」演出者)