原子力船「むつ」に奪われた海 「考える高校生-教師版-」 7月号
下北の怒り
本州の最も北、さいはての地、青森県下北半島はいくつもの観光のめだまがある。まず恐山がそれだ。いたこのロよせで有名な霊山である。硫気が地を這う岩膚、ふきでる温泉、この他にも半島に温泉が多い。
津軽海峡ぞいの漁村には干しコンブとスルメの勾いが流れる。最近の映画『漁影の群れ』は、この海峡でマグロの一本釣をする漁師の大魚との死闘の物語りだ。海峡は魚の群れの通りみち、イカ、イワシ、そしてサケの魚道だ。
それにもう一つ、ニホンカモシカと”北限のサル”の生息地として知られる。こうして並べてみると野趣の地のようだが、漁師町は活気があり、小ざっぱりした住宅がめだつ。
視点を変え、軍事、政治の地図として見ると、半島は一変して見える。マサカリの柄のにぎりの部分には原爆貯蔵庫があると、ことあるごとに問題になる三沢米軍基地があり、北に向けてのレーダー・アンテナ網はアメリカのペンタゴン(参謀本部)に直通している戦略拠点。
マサカリの刃の部分には明治以来の軍港大湊があり、それぞれ米兵水兵姿の自衛隊員が肩で風を切って歩いている。半島でただ一つのむつ市の映画館は「生徒と自衛隊員割引き」である。
三沢の北の六ヶ所村は東洋最大の工業コンビナートが構想され、原野に二〇万新都市が出現するはずであった。その北の東通村には、現在の日本中の原発総出力二千万キロWを一力所に集めた一大原発集中地帯がつくられる計画であった。
また下北半島は、「本州、北のオキナワ」ともいわれる。空からのロケット・機銃による攻撃訓練専用の射爆場。さらに対空兵器の実弾射撃場。それに戦車砲、艦砲の性能試験用射爆場。その三地点が太平洋岸に連なり、ジェット機の爆音ととびあがるような銃音、砲声がたえまない。
むろんその長い海岸線と沖合いは補償金と引きかえに演習期間、漁船の立ち入り禁止である。
最近、これに「原子力のメッカ」の名が加えられ、電力業界によって最も危険でダーティ(汚い)な再処理工場、廃棄物のゴミ捨て場がここに集中することになった。まるで全半島が無人地帯のような扱われ方である。しかし十数万人の農民、漁民が腰をすえて暮らしているのだ。
「ここは北限のサルしか住んでおらんと思っている。日本中の危険なものをみんなもってくる」と、彼らは憤る。
なぜ『むつ』が来る?
私は原子力船「むつ」の母港に決まったむつ市の浜関根という戸数百数戸の漁村で百日間、映画を撮るために滞在した。『むつ』の港のために浜一番のコンブの藻場と定置網の漁場の一部がなくなることで村中の人が心を痛めていた。
なにしろ家々の前は浜で、磯舟を浜からおろし、いわゆる磯めぐりといって一日、漁のしかけ、うにかご、たこはえなわ(ともに海底に縄をのべ、かごやハリをつけた漁法)を見まわれば、一日二万円くらいにはなる。春から夏、浜に打ちあげられる流れコンブをとるだけでも四、五千円にはなる。村びとはまるで縁側からサンダルをはいて、庭の草花をいじるようなおもむきで海に出ていた。
その海に母港ができる。売ったら勝手におりてはいけない、という話だ。大きな港、しかも漁船の入れぬ原子力船専用の港で、一九七四年に原子炉の試運転中、わずか二%の出力で危険な放射線漏れ事故を起こしたいわくつきの『むつ』の母港になるという。
この船は、二一世紀の原子力商船、コンテナ船のパイオニアということで、造船界、海運界の花形の船だった。当然その母港は横浜か、あの”みなと神戸”につながれるはずだったが、放射能の安全性が不確かなために、大都会周辺のどの港からも断わられ、ついに軍港大湊の近くにいったん母港の地を得た。
だが、あの事故によってむつ港からも追い出され、ついに”辺境”浜関根につながれることになったのだ。「もし安全で地元がそれで経済的にうるおうという話が本当なら、どうしてこんなへんぴなところさ、持ってくるもんか」と、村の人は一人残らず思ったという。
「危険な放射能を積んだ船だから、ここにおっつけるのだぺし。安全なら横浜港にもっていったはずだ」
村の人は漁業一本でやる上で近年、いろいろ工夫を重ねてきた。底に住む高価なひらめ、かれい、たこを採るため、海底にしかける底建網や、廻遊するイワシ、サバ、サケをとる大がかりなしかけの定置網などで立派に暮らせるようになった。
若者も戻ってくる。中卒の若さでも年収三五〇万円以上、みな四輪駆動、ターボエンジンの車やステレオをもてるようになったという。その矢先、国策だから、海をよこせといってきたのである。
海を奪い返す闘い
さて、海を売る、売らないは地元漁協の組合員で決めることになっている。戦後、海辺の漁民はほとんどここ関根浜漁協に加入した。半農半漁がふつうの暮らしだった。組合員は三六七名だが、長い間に農業だけに打ち込んだり、勤めに出たり、出稼ぎが中心になったりして、海だけで生きる専業漁師は百名足らずになった。それでもこの数を全国の漁村と比べれば、中味の濃い”漁師むら”である。だが組合員の三分の二が海を売ることに同意すれば海は売られていく。「一人最底三百万円は補償金がつく」といわれ、名目だけの組合員はぐらついた。
一方、年一千万円以上水揚げをあげる専業漁民には”目腐れ金”(見ただけで汚れるたぐいの金品)に見えた。だから反対したが、名目だけの組合員を束ねた数には勝てなかった。たった四票差で負けたのだ。
「何もない平和な時ならいっしょでもかまわんが、海を売る売らないの時に、一丁前の漁師面して…」と、専業漁民は怒る。
にらみあい、分裂もする。国や県当局はいくつものインチキをした上で、組合決議として海を盗ったが、その手口ははっきり見えてきた。「ちゃんと組合のきめ(定款)通りにやれば売られていない」と、勇気のある二人の漁民が漁業権を死守するために行政不服や裁判で闘うことを決心した。海だけで生きる何十人の漁民は心の中で声援を送っているらしい。
「わしにはたくさんの漁民がついている」と、二人は断言してはばからないからだ。
「漁師は魚をとって国民に食べてもらうのが仕事だ。「むつ」母港が国策かどうか知らんが、少なくともわしらは国益には尽くしておる。海は売れるものか」
この事件が村にころがりこんでから、それまで法律や「原子力」などに緑のなかった漁民がこむずかしい六法全書(漁業法など)を読み始め、中には新聞の切り抜きまでして勉強をし始めた。
海を売らなければ原子力船『むつ』はこられない。いったん売られたかに見える漁業権を再びとり返すべく漁民はじわじわと動き出している。これを「ムダな抵抗」と言わせたくない。