アフリカ映画『車に轢かれた犬』その魅力と問いかけ すぐれて知的は… 差別・偏見の扼殺装置を告発 「公明新聞」 2月2日付 公明党機関紙局
無名の青年が映画化
このカラー1時間26分の長編映画『車に轢かれた犬』の監督は全く無名の黒人映画青年である。出身はアフリカ西海岸、かつてドレイ市とその”積出港”として古い植民都市であった象牙(コート)海岸(ジュボワール)共和国、そこの港湾荷役の日雇い労務者の長男に生まれた。モリ・トラオレ氏29歳。18歳のときに5月革命に沸くパリに移民労働者として働き、5年後、苦学してフランス国立演劇科に首席で入学、モダンバレーを学ぶかたわら、映画的マスクをかわれ映画に出演。のちに彼自身、映画作家を志す。
この映画のシナリオの共作者であり、傍役に出演しているマリ・ジョゼは彼の妻である。マリの両親の反対を押し切って結婚、やがて彼女は政府派遣のフランス語教師の職を得て来日、彼はいずれコートジボアールに帰って母国で映画人として働くつもりだったが、その前に、日本で演劇、映画を勉強できたらという気持ちでやってきた。それが日本で映画をつくることになるとは予期しなかった。
だが、『車に轢かれた犬』はぜひ作りたかった。二人して正業のほかアルバイトもし、400万円近く貯めてからスタートし、結局1000万円かけて完成したが、「日本での映画の配給のことはよく勉強していなかった」ので、仲間たちで来る6月、東京から自主上映を始める準備に入った。彼は『日本で作られたはじめてのアフリカ映画』ということを売り物にしたくない」といいつつ、ひとまず母国に働き口を探しに帰ったが、この映画は現代アフリカの黒人の知識人の思想と感じ方、生きるためのたたかいの決意とその知性をみずみずしくかたっている。そしてヤコペッテイなどのアフリカ記録映画もので先入観をもっていた私の眼をみひらかせた。その意味で純粋にアフリカ人の映画である。しかも主役がみつからず、やむなく彼が主演している。表情・演技は主張をたたえて、寡黙な役だが雄弁このうえない。
この映画はじつは実話にもとづいている。それは”車に轢かれた犬”ほどの、つまり一行の記事にもならなかった日本における黒人青年の現実を映画化したものだという。
数年前、関西で、アフリカ・カメルーンの青年が白人の妻を残して単身自殺した。フランスでフランス女性と結婚、日本に語学教師の職を得た妻とともに日本にきたが、夫婦ともども着任当時の元気が日がたつにつれて失せ、黒人の夫は微妙に狂いはじめ、ついに死ぬことで妻を自由にした。まわりの在日白人社会、そのサロン的ひとびとのうさわとして「やはり身分不相応な国際結婚の悲劇だった」「黒人と白人はやはり永つづきできない」といった”教訓”だけが残っていた。
モリ・トラオレはこの実話を、京都に落ち着いてから調べ歩いたようだ。察するに彼と彼の妻、そして日本での暮らし状況がカメルーンの夫婦のシチュエィションとあまりに瓜二つだったことにとらわれたからに違いない。私は76年春、このモリとその妻ジョゼに京都で始めてあった。そしてこのカメルーン人の死に至る話を自分の歴史と重ねて映画にしたい、ぜひ力をかして欲しいと彼から言われた。傍らの妻も何か決心したようだった。
私はうかつにもはじめこの二人が夫婦と気づかなかった。私の無意識の偏見だったかもしれない。ジョゼはラジカルな思想をもち、現実に、会話学院での、同僚の不当解雇の反対闘争にたずさわっているアクテイブながら、小柄のつつましい白人女性であり、一方は一メートル180センチをこえる堂々たる偉丈夫の黒人で、その皮膚はアフリカ人のなかでもとりわけ黒かった。「二人は夫婦だ!」とのろまの私に叫ぶように二人で念を押した。だからこのテーマは私たちでなければ描けないともいった。
一年後、完成近い映画をみて、何とリアリティにみちた映画かと思った。実話をしらべ、分析し、それに重ねて、いまの二人をとりまく同じ状況をシナリオに書きこみ、さり気ないせりふにも批評眼のゆきとどいたそれは、すぐれて知的は映画となって実をむすんでいた。
フランス映画の最良の手法がここに継承されているとも思った(ブレッソン監督を思った)それでいて、まぎれもなくアフリカ人の心を打ち明けたアフリカ人の映画であって、国籍不明の日、仏・アフリカ合作映画などではなかった。「ああ、これはフランス本国でこんなにまで自由に正直には作れなかったろうな。日本だからできた」と勝手に思った。
それというのも、モリによればアフリカ映画本邦初公開といわれた『ブラックアンドホワイト・イン・カラー』という彼の母国、コートジボアール共和国の映画は、資金は全額共和国出資だったが、結局監督ほか主なスタッフはフランス映画人で占められ、タイトルの名前はアフリカ人らしい仮名で”純アフリカ産映画”仕様に仕立てられたという。彼は悲しみいう。「あれはフランス映画だ」と旧植民地と旧宗主国フランスの関係が彼の眼には露骨に映じていた。
この映画のあらすじは京都の二人の下宿の朝から始まる。日常的、あまりに日常的は生態からだ。妻はフランス政府に保証された仏語会話の先生である。彼は妻から「えりごのみせず家庭教師の口をさがしてよ」といわれるが、訪ねてくる日本人学生は黒人というだけで思惑はずれといった顔で辞していく。そんなことくりかえして、無気力になる中で、せめて、「桃山時代」にしぼってその時代の文学をレポートにでもまとめることを妻への仕事のあかしに示すのみ。妻も、職場のフランス人のサロンでは彼女が夫にえらんだのが黒人であり、そのために苦労している事について万事しらんふりであることを日々感じている。あるとき教師に欠員のあることを知って、それに夫を推薦するが「フランスの正統とはなにか」を院長から説教される。妻は黒人の夫を負担に感じていくだけだ。
6月に東京で公開
黒人は京都の町で最もリラックスする人たちを未解放部落にみつけ、家にはよぶが妻はよろこばない。妻の大切にする在日外人サロンでは無職の彼は疎外感におちいるだけだ。白人と黒人の差が夫婦に襲い始めたことにお互いに目をそむけてみないふりをしようとする。不意のように妻は白人の男と情事に陥る。夫はすべての崩壊を悟って耳をおおうように現場からひそかに立ち去るもあとでは「お前は妻のはずだ」となじって、なぐりつける。白人の妻は「ついに黒人の本性をあらましたわね。この黒いけだもの」と口走る。彼は自殺を試みるが果たせない。妻ももうこれまでと彼に本国で職を求めるように勧める。離別と帰国。そして二か月後、彼の自殺の要を聞く。
-このエピソードが在日フランス人の記憶に新しいとき、また白人妻と黒人のカップルが幻想をもって日本にくる。意気軒昂としてその黒人の正面像をカメラはみつづける。それは、又”同じワンサイクルをたどるであろう”主人公の内面世界の痛恨となって終わる。”犬”とは黒人であり、車とは黒人うけいれない球形の近代西欧文明であり、日本でもある。そして差別、偏見の扼殺装置は実にさり気なく日常的に自動自転していると映画はつげる。日本でも日本のフランス人社会でも。
この静かな話法による映像化はアフリカ人映画青年の知性、その抵抗のあり方の底深さをあわせて表現している。
黒人側からみれば、旧宗主国フランスによって苦しめられた植民地の人間として真の解放を、あの(、、)青年学生運動の昂揚”美しき5月のパリ”(69年)を目撃することで力づけられ、その中で、文字通り身を以て夫婦となることを皮膚の違いをのりこえたあの60年代。それにつづく70年代はその反動の波、沈静の時代であった。モリにとっては、白人社会の中で彼自身叫んだ黒人解放を内側でみつめる時でもあったろう。それ故に、モリとジョセは一人の映画の中に”夫婦と人間の崩壊”を描きこみ、そのネガテイブなものを埋葬する作業をして、日本でこそこの映画をつくり、新しい人生を求めて母国アフリカに立ち戻ろうとしているのかもしれない。私はそう思う。
本年6月、東京で公開されるが、その時、象牙(コート)海岸(ジュボワール)共和国に帰っているモリ・トラオレ氏は再び日本に来て、日本人の反響を目撃したく毎日会場にたつつもりだという。ぜひ彼の日本での映画公開に何らかの参加をお願いする次第である。(1980年1月15日)