漁師がイワシのカンズメを食べるとき 下北半島「海盗り」の地から 『生活と自治』 11月号 生活クラブ生活協同組合連合機関紙委員会 <1984年(昭59)>
 漁師がイワシのカンズメを食べるとき 下北半島「海盗り」の地から 「生活と自治」 11月号 生活クラブ生活協同組合連合機関紙委員会

 映画「海盗りー下北半島・浜関根」で原子力船「むつ」をめぐる小さな漁村をとりあげたが、カメラは、すでに海を盗られて十年二十年経った、同じ半島の漁村にも、その眼をむけざるを得なかった。焦点のむつ市、このはずれに浜関根があるのだが、そこから車で一、二時間の距離に「むつ小川原巨大開発計画」の六ヶ所村があり、日本最大の原発集中立地予定地の東通村がある。だがその間の人の往来はまず稀だ。東京や青森に一度も行ったことのない人はなかろうと思われるが、となり町に、その開発の跡をたずねる人はない。だから私は映画で、それら離ればなれの人を一篇のなかに登場させようとした。
 その中で、最も哀切だったケースを紹介したい。下北半島のマサカリ型の背にあたる、まっすぐな海岸線をもつ東通村猿ケ森の場合である。そのもつ十川キロの砂浜は射爆場-試射や弾着観測に最も適地であるとして二十年前に防衛庁に盗られた。戦後基地反対闘争で名高い内灘(石川県)射爆場の移転先が、北辺の地のここ猿ケ森であった。
 三十戸たらずが半農半漁で生計をたてていた。雪とヤマセに十一月から正月まで襲われるこの地は、ヒエアワを主食とし、ジャガイモや山菜をお菜としたが、何より魚がとれた。保存用には塩漬けと寒干し、かす、みそ漬けにして一年中さまざまな食べかたで魚やアワビ、ウニ、コンブを摂って生活してきたところだ。貧しいが食の文化はあった。だが海岸十四キロのすべてを盗られ、舟は陸にあげられ、漁業は一戸をのぞいて全滅した。
 そんないちぶしじゅうを語ってくれた、元猿ケ森漁業協同組合長の山道繋興老人は「海を盗られれば陸も亡びる。村じゃ暮らせぬから町にでる。こうしてこの村も亡びたわけだ」という。日々をかたるとき生き生きしていた。その彼は、家(屋敷)を土建業の息子に渡し、ひとり、ひっそりとむつ市の一間のアパートにすんでいた。「魚をいまもお好きですか」と私は聞いた。「ああ、好きで好きで。イワシのかんずめ、サバのみそ煮をスーパーで買って食べとる」という。どんな生活の変り方を経て、カンズメのイワシにも合掌して独り食事をするようになったのか、そのカンズメの食事、およそ漁師にとって考えようもない悪食に耐えるようになったのかを思った。
 鮭は頭骨のほかは血あいにいたるまで塩辛にして食べたという、十何通りもの料理法をあみ出した北海の漁家の舌の栄耀は、いま見るかげもない。くらしの中の文化は死んだのだ。海を失った人の悲劇を、この一事で知らされた。イワシ一トン二万円の安値の浜なのにー。
 いま、田舎も都市と変らなくなった。高度成長のこの二十年の間のことだ。人口二、三万人の町にも大都会のそれに似せたカラオケバーができ、電化製品やカメラの三割、四割びきはふつうになった。雪国むきのプレハブ住宅のカタログは折込みで届けられ、小さな街にも進学塾ができた。二泊三日の「巨人戦、野球ツアー」バス旅行はおろか、農協の海外旅行も手の届くこの頃だ。現金さえあれば…この上に極楽の時代があって、その上に、札束でひっぱたく「海盗り」(国、県、各電力会社、開発会社など)がやってくる。
 むらが、現金経済の支配に侵されていなければ、それは怖くない。たとえば浜関根でも、住民の四分一はいまも海と数反の田畑で自給に近い生活を送る人たちがいる。この人たちは、手かえ品かえての資本と権力の攻勢にも、海を売らない”少数派”としてがんばった。だがのこりの多数派は海があっても行商から魚を買い、流れコンブを目の前にして、つくだ煮を、田畑があっても米や野菜を買う。文字通り消費者としての生活になっている。夫は出かせぎに、女たちは日給月給の土木工事やいか加工工場などに現金収入を求めるようになり、土と海との生活から切り離されていた。この生活サイクルのなかで、賛成(むつ母港化)票最低三百万円余の金は「外れなしの宝くじ」に思えたとしてもむりはない。
 現金経済の土石流のような流れは、しかしいつか止む。止めなければと思う。そのためには、もはや「農民」「漁民」と見る思いこみをやめて、同じ都市生活者と見、かつその上に海や田畑をもつこの人たちの強さを指摘し、はげましつづけることがいま大事に思える。
 都市のひとは、その都市生活の中身をかたり尽すことによって浜辺の人の心をゆすぶることができるであろう。それには、まず、カンズメのイワシから語りはじめることでもあろうか。あるいはお金の話をしすぎてもかまわない。なぜ東京で一皿何匹のイワシが何百円もするのか。浜では一キロ二十円であるのに。こうしたお金談義はいつかきっと花咲くことだろう。