下北沢・世田谷に思うこと 「上映実行委員会ニュース」 秋 海盗り上映実行委員会
映画『海盗り』の鈴なり壱番館上映が世田谷の住民運動グループの旗ふりで諸団体をあつめるのだと聞いて、ある感じ方で熱くなる。
世田谷といえば、二十歳前半、私が青年共産同盟員・祖師谷成城班の一員として活動していたいわば縄張りの地である。もっぱら東宝の映画労働者と組んで有名な「来なかったのは戦車と軍艦だ」という武装警官隊に襲われた東宝争議の支援に没頭していた。祖師谷大蔵駅ホームに週一回、凝ったコラージュで風刺画風にまとめた壁新聞を集団制作したり、ソ連抑留帰りの楽団カチューシャの上演を手伝ったりーそんな中で、隣のオジサンが岩波映画の重役だった緑で、大学追放の身を映画界の一角に拾ってもらうことにもなった。当時の人脈はいまも随所に生きている。
今こそ地域活動から程遠いところにきてしまっているが、体験の原点には祖師谷成城があるのだ。東京全体の広さを「こりゃお化けだ」と実感したのは、ある参議院議員候補の東京地区青年行動隊としてトラックで西から東までかけまわったときだ。駅前だけが人の顔のみえるところだった。通りや横丁は流れに流れてつかみどころもなかった。
組合運動にも加わり「全国の学生諸君!」や「全国の日中友好運動家の皆さん!」にはじまる通信・激文も書いたことがあるが、顔のみえている人を念頭におき恋文のように書かねばだめだという悟りめいたものを覚える前にやめてしまった。組合活動といってもそこに根がなければ実体はない。
近年全国の上映のさまざまなケースに立ち合うようになって、東京・大阪といったマンモス都市のセンター上映に、同じ困難の質を感じる。いわゆる県庁所在地よりも更に小都会の方が、人びとの集りの質が熱っぽくて、結果として率がいい。そして映画会のあとののみ会がたのしい。「始めてきた」人たちへの歓迎の拍手と眼ざしは魅力的であきないのだ。
「なぜ村の字(あざ)は五十戸単位にできているのか?」と水俣を分析しては考えた。「ひと廻りできて、茶ののめる範囲はそんな所じゃないか」とひとり合点した。「パルチザン五人組」の五人とはなんだ。一学級「三〇人」説はなどと人びとの体験から出た数の哲学には人との出遭いと行動の様式の必がこめられている気がする。ー映画でもそうだ。スタッフはロケの車一台にのれる人数がベストである。二台に分乗すれば、その間、話が途切れる。「映画愛」といわれる愛情の実態はそんなものかもしれない。
世田谷でこん回の上映運動を提起したひとは、そんなことを熟知している人にちがいない。その根から枝と葉にいく樹液の匂いのする運動に思える。映画にふさわしい”村”の処遇に熱い感じをもたないではいられない訳は以上の件の如しなのである。