世界のドキュメンタリー映画の今日 新しい映画交流の芽ばえを見る 『公明新聞』 5月23日付け 公明党機関紙局 <1985年(昭60)>
 世界のドキュメンタリー映画の今日 新しい映画交流の芽ばえを見る 「公明新聞」 5月23日付け 公明党機関紙局

 社会的テーマの作品が作りにくい状況

 この春、八五年度ベルリン映画祭のヤングフォーラム(若い映画の広場)に招かれ、ヨーロッパの若い映画人や緑の党のメンバーなどと交流した、これまでも水俣の映画をもって発生地のカナダ、北米ほか西欧、ソ連にフィルム行脚したことがあったがヨーロッパは十年ぶりである。そこで気付くのは今日、社会的テーマの作品が作りにくい状況におかれているということである、。アメリカでもレーガン政権になってから、社会教育フィルムへの基金援助が打ち切られたと聞くし、西独の場合も、社会民主党から保守系のキリスト教民主同盟主導になってから、各種の基金の枠が狭まったり、TV局の主幹部人事が保守系に交替し、企画面でのチェックが厳しいなど右傾化の波をかぶっている。
 それだけに、日本で細々ながらも”社会派ドキュメンタリー”が持続して製作されていることにより関心がつよまっているように思われた。特に今回は「若い映画と映画人発見のために」もうけられたヤングフォーラムという作家との対話を各作品ごとにセットした「映画の広場」だっただけにその感が深い。そこでは世界の配給網には乗るべくもない作品が選ばれていた。若い作家の問題作や実験的作品、記録映画や社会性のあるTV放映作品などである。私の『海盗り-下北半島浜関根』も内容的に「若い」部類として選ばれたのであろう。(昨年は小川紳介の『ニッポン国吉屋敷』が招かれ、国際批評家大賞を得ている)
 上映後、その作品の作家と観客との一時間の質疑とディスカッションの場が設定されている。これがこのフォーラムの特色である。話し足りなければ会場を変えてつづく。私の水俣の映画も話題にのぼった。かつてこの映画祭に出品されたこともあったからである。私の場合、映画論一般や美学的批評は少かった。むしろ、日本の反原発運動や、反公害の現状。そしてこうしたいわば社会的テーマのドキュメンタリー映画がどこから資金を捻出してつくり(製作)、どうやって親客にみせ(配給)、資金を回収して次回作の資金をつくっているのかについてである。
 答はあらまし次のようになる。

 アジア・アフリカは検閲や経済事情が

 「資金は身内や友人からの借金である。まだ返済しきれないうちに次回作にかかり、借金の総額は減らない。配給は一部を業者に托し、案内し、市の公会堂や町の公民館での上映が主体である。TVの放映での製作費の還元はまず無理である。
 第一、民放のTVでは反公害や反原発をテーマにした番組はスポンサーの好みでなく、また視聴率競争をタテに採用されにくい。この種の映画の公的映写会場は一ヶ所もなく、椅子席一脚あたり二、三百円になるためリスクが甚だしく、上映運動へのプレッシャー(圧迫)になっている。だがこの種の映画を見たい人たちが確実に所在し、支持しているからこそ、十五年、二十年と続けられたし、小さいとはいえ映画のひとつの流れはつくってきた。若い人の登場もドキュメンタリーの世界では可能性をもっている……」と。だがそのあとで「しかし私たちの映画もまた日本の繁栄の分け前かも知れない」とつい言いたくなる。というのも、映画の経済的条件つまり「下半身」の話をしたことでつくづく思い知らされていたからだ。
 たとえばフィリピンの映画人はアキノ氏暗殺いごの民衆のデモ、集会の記録をはじめて自前で撮りはじめた。映画はマニラ以外の都市で上映されているが、残念ながらボロボロになって今は見るに耐えないという。八ミリカメラしか使えずフィルムはネガポジ式で一本しかなく、それを複製する資金のないまま上映したからだという。またアフリカの作家は、アフリカの母国には映画館が少く、その九〇%はアメリカや旧宗主国(仏・英等)の配給会社が握っており、かりに映画をつくっても、その一、二館で、一・二週間の割り込み上映をするのがやっとである。「検閲」制度が事実上あり、TVの放映はむつかしく、また十六ミリの自主上映は映写機の不備から不可能に近いーこうした発展途上国の事情を聞くと、恵まれた日本とその中での作家の位置を省みざるを得ないからである。

 国境をこえた連帯システムをめざす

 だがこれは映画先進国の人にむかっては別の言い方になる。アメリカの社会的運動体の厚み、大学映研のネットワーク、西独の百館を超える公共映画館システムがすでにある。日本より有利な基盤がある。資金の擾助や基金がなければ製作をスタートしないという合理主義ではいつまでたっても作品はうまれず、したがって映画運動も起きないということになる。では撮りたいものがないのかと尋ねると、パーシング2配備反対闘争や自然保護、酸性雨問題、反原発、反核連動などと即答が返ってくる。
 フランスのラザール核燃料再処理工場の労働者の立場で描かれた「もしいま闘いの成功なくば」は数千回の上映記録をもっているし、西独フランクフルト空港の滑走路拡張に反対する映画は数万人に観られた。そしてこの製作上映連動の中に『三里塚・第二砦の人人』(小川プロ)や『水俣』(青林舎)や『東京クロム砂漠』(アテネフランセ映画講座)などが上映され、かれらの自主製作・自主上映のはずみになったときく。そういう体験を交流するルートを拡げることで世界中のドキュメンタリー作家が元気づけられるはずである。最近インド、ボパールのユニオンカーバイトガス事件でカメラをまわしているインドの作家がいると聞く。ここにも水俣病映画を携行するべく「アジアと水俣をむすぶ会」(水俣・浜元二徳代表)が準備している。こうした自然に生まれた映画の運動をきっかけに国境をこえた連帯システムを作りたいものだ。