監督から 映画『下北半島・浜関根』を撮る…… 『ご協力とご参加のお願い』(パンフ) 7月25日 記録映画「下北半島・浜関根」製作協力委員会 <1983年(昭58)>
 監督から 映画『下北半島・浜関根』を撮る…… 「ご協力とご参加のお願い」(パンフ) 7月25日 記録映画「下北半島・浜関根」製作協力委員会

 べた凪ぎの午後、原子力船「むつ」にレンズをむけたとき、その両舷に吊された避難用ボートをしげしげと見つめた。船にボートは当然のこと、何の不思議でもない。しかし私にはあらためて「むつ」にも万一の場合にそなえての用意があることを知らされた。つまり母船を棄てる日があり得る――、だが関根浜のひとびとにボートはない。
 5月26日、この浜で日本海中部地震を経験し、28日十勝沖地震にあいました。津波警報をききながら沖に異変の兆しを知ろうと、浜にたたずむ漁民たちの様子を見るとき、「むつ」を棄てる日が私だけの空想とはいえない。
 この10年、ホタテの海を追われ、旧軍港・佐世保に拾われ、欠陥部分を改修したとされる「むつ」の再漂流さきが、外洋とはいえ、またしてもむつ市となったことを報じられたとき、誰しも、「むつ」を生かしつづけようとする一連の人たちのしぶとさを思ったはずです。地元の人には国策と説いている。
 たまたま現地の説得にきた安田科学技術庁長官は「日本の海運業界、造船業界のためにも云々」と漁民を前にのべました。つまり、巨大企業の業界のためであり、国益国策といえるものではないでしょう。

 ここ関根浜にきて、私は200カイリ問題のピンチをきりぬけ、沿岸漁業の開拓に成果をあげはじめた漁民たちの意欲と自信にあふれた姿をまのあたりに見た。零細漁業、挙家離村、出稼ぎの村では決してなく、海に生きる努力のむくわれてきたときに「むつ」が補償金をエサに海を占有しに来るのです。
 公害反対、原発反対の闘いに洗われたこの10年のひとびとの体験を無視した時代錯誤も甚だしいはなしです。
 すでに「漁民のゴネ得、補償金のつり上げ」という相も変わらないキャンペーンが行われていますが、漁民にとっては損得いぜんの無理押しの母港指定であり、話がでたときから平和な浜にただ難儀とひとびとの亀裂とその悲しみしかありません。
 この映画で下北半島をめぐるいくつかのミステリイを解かねばならないでしょう。人呼んで「海上最大の粗大ごみ」といわれる「むつ」をなぜ生かしつづけようとするのか。この浜に実際は何をはりつけようとするのか――です。それはここの10数年來、進行している「むつ小川原巨大開発」「東通村2000万キロワット原発」「大間町・新型転換炉」とまさに原発半島化のワイドな視野から関根浜に焦点をあわせることにもなります。
 「三沢F16配置」「原潜母港化」「海峡防衛基地」などへの連想は漁民たちの日常会話の底に、すでに根付いている不安でした。
 今回の映画は、奇しくも、松橋勇蔵に会い、その手引きによるものです。彼はこの関根浜の最良の漁家一族の末弟であり、演劇者、文化運動家として、関根浜と日本をつなげる媒介者となりました。
 この孤立した浜は時の流れのなかで公平にもひとりの青年を”伝道者”としてもちえたのです。私たちは、その映画による加担者であるにすぎません。
 7月の浜あげてのコンブ漁、稚魚のにぎわい、冬のサケ漁、秋のマス漁と周年の漁民の生活、海の力を描きたて糸としたいと思います。私たちが映画で描くこの海の営みに、はたして原子力船「むつ」が侵入しうるか。それは記録映画作家としての身の震える仕事なのです。