『水俣-患者さんとその世界-』-思い残しそのものの映画 『フク二チ新間』 8月25日付 <1986年(昭61)>
 『水俣-患者さんとその世界-』-思い残しそのものの映画 「フク二チ新間」 8月25日付

 「この一作では済まぬであろうな」と完成の瞬間から思った。昭和四十五年正月「水俣・患者さんとその世界」二時間五十分の長編を作った時である。終わりなきはずのテーマが妙に完結しているのが気になった。
 この思い残しによって、以後、水俣・不知火海の映画を十数本作り続けることになった。前作以後、裁判、交渉のリポート、医学としての水俣病三部作から”音楽映画” ”美術映画” ”メルヘン映画”まで、そしていま水俣病三十年の現在を描く「海は死なず」を撮っている。
 そもそも「水俣」に「患者さんとその世界」とサブタイトルを付けたことから連作の予感があった。この長編には、事件や裁判や闘争がスペースを占めるのは当然であるが、一歩突っ込んで、そのような受難を引き受けた人の人生をまるごと描きたい気持ちがあった。「地獄の底まで付き合うか」と言われて黙した自分の答えを映画でなさねばと思ったからだ。そして伏線のように、病みつつ笑い、騒ぎ、輝く漁民の日々を点描し埋めたつもりだ。
 だが映画は圧倒的なラストで左右される。チッソに一言の怨(うら)みも口にできなかった患者が、勧進婆で御詠歌を唱えながら、株主総会に攻めのぼり、ついに総会会場で十七年の怨みを爆発させるシーンではぼ終わっている。
 ほぼというのは、あと一章、日々の漁(すなどり)のシーンを入れたが、株主総会のラストシーンの残像にしかならなかった。つまり積年の怨みを果たすといった映画で、質的には東映の任侠(にんきょう)路線のカタルシスに似ていた。クランクイン前には予期せぬ出来事だった。
 「気が済む」のは恐ろしい。だが果たせるかな三年後のいわゆる”裁判勝訴”によって支援の大波は引いた。映画への社会の需要も同じく引いた。
 幸い、公害の原像・水俣にかかわれた身である。限りなく美しい不知火海に見捨てられた人々がいる。その人々の存在が肥大した日本の喉(のど)に刺さった魚の骨たりうるか。それを描き、とどめたいと思うのだ。