聞き書き元チッソ労働者より「あん人(注:土本典昭)はいま 『映画新聞』 第30号1月 映画新聞 <1987年(昭62)>
 聞き書き元チッソ労働者より「あん人(注:土本典昭)はいま 「映画新聞」 第30号1月 映画新聞 

 水俣にまこて厭きずに来る映画の人にあん人がおります。何か口のもつれるというか悪遠慮というか、もごもごした物言いかと思うと、焼酎をのめば陽気でずけずけ言ったり、多少酒乱の気があるというか。しかしまあ、行く人来る人のなかで、「また、あん人の来とらす」という風でな。しかしいっちょ水俣弁は使わんなあ、みんな若いもんはつかわすとに。
 映画やテレビの人は撮るときにしか来ん、中には、何も撮らずに支援者に徹するというか「水俣のことは仕事とはせん」という熊本NHKの人もおられるが、あん人は両刀づかいというか、撮るは撮る、来るは来る、歩いて観てさるいたり、話ば聞く。まあ酒のむだけに来らすもんな。まこて、本心、水俣というところが好きなんじゃろと皆で話しとります。水俣病から「病」を抜いて見とる人じゃって思うとります。だから「水俣道楽じゃ、運動とか何とかじゃない、好きに映画をつくる遊び人たい、それじゃなからんば、身銭切ってまで天草や離れ島まで手ぶらでいかるるか」つて、まあ余分なせんさくはせんことにしとっとです。
 じゃが、皆心配はしとるです。映画は金ばかかるでしょう。プロデューサーの高木(隆太郎)さんはようやっとられる、よう続くもんじゃと、少し事情の知っとるものは言うとです。「借金ばして映画をつくり、映画で金を返し切る」とは言うばってん…。この水俣の相思社(水俣病センター)からも金を借りてまだ残りののこっとる風ですが、それでいて一時間20何万のヘリコプターば、何時間もつかって水俣湾から工場のエントツすれすれまで何べんでまわっとらす。相思社のまうえにきて回っとるんで若い衆が、手を振りながら「早う借金返せ、そげんとんだら金ば喰うぞ」とヘリコプターに怒鳴ったっち言います。半分冗談ですが。あん人は爆音で聞えんもんで手ばふって喜んどるってな。
 海にも何辺も潜っとる。そのラッシュば見せてもらいましたが、沖縄の海とはちがって不知火海はそう澄んじゃおらんとです。ボヤーとしてせいぜい2〜3mしか見えんでしょう。それなのに、ホンダワラ(海草)がここにも生えてきた、あっメバルの回遊しとる。エビ仔のおる」と言いなさるが、見た目にゃNHKの水中撮影の方がはるかに良かなあ、沖縄の。

 海は生き返っている

 大体『海は死なず』ちゅう題名がひっかかるとですよ。わしはチッソの元労働者ですばってん、海の死にゆくのを写真や八ミリ(映画)に撮っとるです。わしには、いまの水俣湾の埋立てば見れば、死んだとしかいいようのないのにですなあ。あん人は「20年前とは較べものにならんほど海は生き返っている。この不知火海はすばらしい海だ」といいなさる。少しひいきのしすぎじゃなかかと思うですなあ。まあ風景は天下一と思うとりますがな。
 しかし日本海の原発銀座の若狭湾が潮のみちひきの差が40センチしかないということは知らんじゃった。この海は大汐で4メートルは上下しますもんな。よその海もそうやろと思うとりました。そりゃ大汐のときの瀬戸の動きは球磨川下り(船)と一しょと昔から言いますもんな、流れの早かで。そこんとこをヒントに色々海ば撮るらしかですな。天草じゃ長島(鹿児島県)じゃとぐるりもな。

 海は死なず、ひとは死なず

 この間、あの人のこらして、「ちょっと体力(金のことですたい)を回復してまたとりにくる」っていわしたもんな。もう十時間ぐらは優にとっとるらしかですが…。今、水俣の若い人たちの動きや、市のよみがえりというて、国際的な大学をつくるなどと少しずつ花やいだ話も出てきていますばってん、水俣は万事、おそかでしょう。「もうここまできたら、新たな節目のみえるまで一年でも二年でも撮りたい」と欲をかいとらすらしかです。分らんじゃないが、早くても遅くても、こんどの映画は、運動の映画じゃなからしかで、「一日も早く」ということはなかでな、裁判のときの(映画の)ように。


 水俣ん中では、「こんどの映画は運動的な高まりもなかとき、どちらかといえば情況の下り坂のときに何ばとらすか」とか「死に水を取らすつもりじゃろか」とか「『海は死なず』なんて、チッソのよろこびそうな題名で…」とか、いろんな声もあっとですよ。しかし水俣もんじゃ見えんところも見するかも知れんとわしゃ思いたいですがな。『ひとは死なず』の方がピッタシくるばってん。

 わしゃどうしてテレビにあんたらの映画ばかけんか、大ぜいの人も観れるなし、金も入るじゃなかか、と言いますばってん、一本もテレビにやかかりませんなあ。外国で賞をうけても、日本で見られんばつまらんとわしも言いますばってん、なかなかむつかしいらしかですな。長すぎつとじゃなかかな、ちいっと。
 しかし水俣のもんのなかには、「映画じゃから本当のことがいえる。じゃが、その本当のことを、あっちゃこっちゃの茶の間のテレビにうつれば、『アノ のぼせもんが!』って嗤わるる。あん人たちの映画は、『この映画ば見よう』という人たちに見らるるで、物も言わるる」という人もおっとです。
 この間はですな13年前のあん人の白黒のフィルム(『水俣一揆ー一生を問う人びと』)をやったですよ。皆一まわり若くてな、もちろん死んだ人間も喋ったり泣いたりしとる。やはり懐かしかなあ、思い出をたぐらるる思いですよ。やはり、のこしておいてくれて助かったと言わるる。「見るのもいや」って切ながっていた人も、1 5年まえの映画となればもう落ついて他人事のように見らるるもんな。1 5本も作ったといわれるが、患者は2〜3本しか見とらんじゃろ。水俣病センター相思社で計画しとらすようじゃが「水俣歴史考証館」ば作って、あのヒロシマの原爆記念館みたいに資料や写真などをおいて、映画も全部そこで見られるようにするのが良かち思うとです。TVは好きなときには見られんもんな。あ、ビデオにはなっとるんですか。しかし”現物”はここにはなからんば。
 しかしあん人は分のよか(運のいい)人じゃなあ、どうしてくどいたのか、一千数百万円するカメラやら何やら一式新品を自由につかわしてくれるような、奇特な婦人がおっとじゃそうなし、自分の家にスタインベックとやらいうドイツ製のキカイ(編集機)も借金して置いてよろこんどるそうなし。若い衆もぶうぶういわんとあん人をたすけとられるようじやし、あれでいっぱしの映画ばとらんば、何のことはなか!と言うとります。もう五十八ですか。人が停年じゃ退職じゃちゅう年に、仕事の道具はそろうなんて、まだヤルつもりらしかなあ。金なんかじゃつまらんもんな、機械のあれば一番。それに仲間のおれば言うことなしじゃが。金ばなかちゅうても今はじまったこつじゃなしな。

 水俣は変わるとですよ 

 水俣は何故いろんな人が来るのかなあ、ユージン・スミスもここで死んだようなもんだし、砂田明さんも芝居をせらる。石牟礼道子さんは地元じゃが、こんごろよ、このまちの本屋に並べてもらえるっとは。水俣もんは水俣病のことは嫌いじゃもんな。よそのもんは「水俣にいってきた。患者さんに話ば聞いてきた」を東京や大阪に帰っていえば、良か事ばした気のするかも知れんばってん、わしどもは長いこと患者とのつきあいも気をつかって、かくし事みたいにしとったもんな。映画に出るなんちことは勇気が要るとですよ。普通の「撮らるるのはイヤ!」というのとここはちがっとです。
 水俣の若もんは他所へいっても「水俣生れ」というには時間もかかるってな。もう水俣病患者もふつうの市民もおんなしよ。水俣の名がつけばな。そこんところをどう変えるか、それが今度の映画のしごとならよかがー。
 水俣には高等教育の学校はひとつもなかとに、こんど大学の話でしょうが。(注「水俣大学を創る会」代表大石武一元環境庁長官)しかしもし出来れば水俣は変るとですよ、『水俣の甘夏』だけではまだイメージ変らんもんな。「新左翼の大学じゃ」ち共産党も言うし、まあ出来るかどうかは五分五分かなあ。
 あん人が当面短篇の『水俣病その30年』ばつくるちゅうが、そん話が入っとっとかなあ。この十年はたしかに負け戦じゃった。裁判では常勝でも事態は悪化の一途じゃもんな。しかし諦めじゃなく、新らしかこともチョポチョボでとる。つづけばそれは本物になるかも知れん。それば見つけるにや、やあやあ、またあん人もせっせとこんばなあ。こんごろ何しとらすか。
(架空録音採録)