「アジアの中の日本」としてのドキュメンタリー映画 「サンケイ新聞」 7月6日付
いまドキュメンタリー映画は一九六〇年代、フランスの五月革命、中国の文化大革命、日本の全共闘運動を背景に輩出したあの昂揚期につぐうねりを見せているといわれる。
◆逆境の中で
映画史を二十五年、四半世紀単位の切り口で見ているらしい蓮實重彦氏によれば「あらゆる意味で映画が退潮期に向かっていった時、日本の記録映画だけはたえず高い水準を維持しつづけた」(「リュミエール」七号)といわれる。小川紳介・小川プロや私・青林舎などがともかくも二十年近く連作をつづけてきたことが世界のなかでも稀な事例として挙げられることも耳にする。ふと”誉め殺し”という言葉を思う。
「映画は芸術であるとともに企業(興業)である」のは常識である。その商業的サイクルがテレビにまたたくまに蚕食されたこの二十五年、映画の退潮は、狭くなる市場をめぐる映画企業の競争と共食いの観を呈した事情ぬきには考えられない。だが自主製作、自主上映の途しか残されなかったドキュメンタリー映画は、商業的な興業ルートに参入できなかった分だけというべきか、素材を選び、映画の受け手をもとめ、作るべき映画を作るという本音をさらした製作態度で世に問う外はなかった。劇場にもテレビの枠にもうけ入れられないことを自明の事としてスタートした。ドキュメンタリー映画の出自から見れば退潮期を味わうほどの順風を知る由もなかったといえる。
◆底辺からの源流
その事情の最たるものは、この間次々につくられた在日韓国・朝鮮人、とくに若い三世の手になる記録映画だ。秀作「朝鮮通信史」を製作した甘基秀による朝鮮同胞の戦時下の抵抗を辿った長編「開放の日まで」は祖国の南北分断を超える歴史的意識で、在日の足場を利して呈出された。呉徳洙の「指紋押捺拒否」の差別に対する告発は、さらに若い呉充功によって六十年前の関東大震災のときの”鮮人狩り”にまで及んだ(「隠された爪跡」「払い下げられた朝鮮人」)。ヒバク者の差別問題で本をあらわした朴寿南は「もうひとつのヒロシマーアリランのうた」を私費で製作した。「払い下げられた朝鮮人」では、憲兵から始末しろと命ぜられた千葉県の農民の自警団員から「自分の手で殺した」という証言をひき出している。
記録映画の水脈のひとつは、やはり辺境の人びと、公害被害者や身障者、部落等の差別された民衆である。開発で見すてられ、使い捨てられた底辺からの源流によりそい、それを見つづけた作品がいっときも絶えず作られつづけた。「山谷(ヤマ)やられたらやり返せ」の演出・製作者佐藤満夫、山岡強一郎氏はともにこの作品をつくったことで暴力団に虐殺された。映画の影響力をおそれる者によって、作り手が消される時代が到来しているのである。
◆第三・第四世界との通底装置
厖大な情報メディアが描き出す大国日本の市民生活と背を接して、第三世界、第四世界の民衆と共通する差別、暴力、棄民の存在こそ、日本の記録映画のバイタリティーの土壌なのであり、だからこそアジア、アフリカ、ラテンアメリカとの通底装置たり得る可能性が、ここに残されている。小川紳介の「ニッポン国吉屋敷村」や山邨伸貴・倉岡明子の「六力所人間記」の描いた人格がつよい共感を生んで賞につながったのも、その故であろう。
「ゆきゆきて、神軍」は皇居パチンコ玉事件の奥崎謙三の公憤と私怨のほとばしった行動記録である。「弱卒の兵を処刑に名をかりて、その肉を喰った」と元兵士、下士官は四十年凍結していたタブーを口にする。原一男やスタッフの心のいたみにうらうちされたロケ行であった。だが見る方の側もただ事ではすむまい。その劇的なまでの刺激性や衝撃性だけを抽き出して拍手喝采を送るとすれば、その状況もまた不気味だ。それは撮られる告白者の、カメラへの無抵抗にも一脈通ずる。ドッキリカメラではあるまいし「人を喰った」と口にし撮られても異としないような、麻痺と風化の時代と読みとることも出来よう。
ここにあらためて、在日韓国・朝鮮人作家の映画のことを思う。日本の記録映画の基線の据え方は彼らやアジア人の記録映画との切りむすびの中に求められるべきであろう。かりにも映画に国境がないというならばである。
最後に、小川プロの新作「千年刻みの日時計」に触れたいが紙数が尽きた。一粒のもみから、村、ひいてはアジア農民の千年前と今のいとなみをつなげうる作品である。静謐なだけに衝撃的である。記録映画の弱点である上映運動を長期上映でのりこえていきたいと小川紳介は言う。それは自主上映の場を広げる意味で共生のパルスとして聞くおもいだ。