バイカル湖の水質汚染 月刊「健康」 3月号 主婦の友
水俣の映画をはじめて自分の手で外国にもって見せて歩いたのは昭和四七年だった。西欧、アメリカ、カナダの他、社会主義の国のソ連、中国、朝鮮民主主義人民共和国にも公害の実態を警告するものとして紹介してきた。十五年前である。日本の高度成長を光とするなら、水俣病はじめ公害事件をその影とするうけとられ方であった。衝撃はうけたが、それが、その国で必要になるという緊急な、現実性は感じられなかったようだ。十年ほどの間、水銀汚染や水俣病発生の国(カナダ、中国)からさえ、もとめの声は聞かれなかった。ただカナダの場合、汚染地のインディアンの切なる希望で、その国の政府や医学機関の渋面をよそに、ボランティアとして二年にわたり上映旅行をしたにとどまる。
ところが、この数年、アジア各地から水俣病のフィルムのもとめが相ついだ。これも政府からではなく、民間の医療奉仕者、反公害科学者、自然保護運動家たちの希望である。資金もない貧しい個人、団体の活動のためのものなので、ビデオにして無償でわたした。
昨年八月、ソ連の文学者と、日本文学者の環境問題についてのシンポジウムが、シベリアのバイカル湖に近いイルクーツクで開催され、野間宏氏を団長とする立松和平、林郁氏ら七名がよばれた。私もその一員として、『水俣病・その二十年』という入門編を携えて参加した。政府サイドの会議ではない。むしろ、ペレストロイカ(世直し)時代になって、ようやく実現をみた環境問題についての情報交換の第一歩である。そこで、バイカル湖の深刻な水質汚染、大気汚染を知った。汚染源はチッソ会社の十倍の規模を誇るパルプ・化学コンビナートである。すでに近隣居住地帯の子供の四八パーセントに歩行異常がみられるという。映画は極めて衝撃的だった。
私が、十五年前にモスクワで見せたというと、一同が無念がった。アジアや社会主義国にいたる公害のひろがりをみると、十年一日の歩みののろさが惜しまれる。
(記録映画作家)