時間を超えた国・アフガニスタン 写真集『アフガン・アフガニスタン』 初版3月3日 記録社 <1989年(平1)>
 時間を超えた国・アフガニスタン 写真集『アフガン・アフガニスタン』 』初版3月3日 記録社

 いまでこそアフガニスタンは遠い。「宣戦布告なき戦争」といわれるが、そう表現した現政権がいまは戦争の終結にむけて「国民和解政策」をうちだし、兄弟あいはむ争いの終焉を訴えている。たしかにアフガン全土が戦場になったこの10年、アジア・ハイウェーなど通商路以外は空路しか通じていない。それもソ連とインドからの2線だけである。その鎖国的状況は無残としか言いようが無い。だが陸の孤島ではない。人間が往来している。隣接国のイラン、パキスタンとの回路は陸空ともゲリラ戦の集中している戦闘の過密な地帯である。その閉塞状況のなかでも 400万難民の流出した路はあった。同じ回路を逆に、生活物資の流れはとぎれながらも続いている。シルク・ロード以来の歴史的な相互浸透は、いかなる外圧があろうとそれぞれの国のひとびとの知恵と才覚で守られてきた。「ジュネーブ協定」が実行されれば平和が来ると、バザールの老人でも自分の占い方をもっているようだ。言うか言わないかだけに思える。
 かって年間数万人の日本人観光客をむかえ、あるいはTVネットワークの援助や遺跡の発掘調査などでアフガン人の記憶にある「日本」の印象はこの10年の空白ぐらいでは消え去らない。10年は昨日である。例えば、ある訪日経験のあるアフガン随一のデパートの経営者に「アフガンが本来の平和と生活を取り戻すには、あと何年くらいでしょうね?」と聞くと、「あと10年もすれば…」と極めてさりげない。商人だけに日本の新製品に敏感に対応している人ですら10年の時間の間尺は「明日」のごとくなのだ。
 「アメリカ・ソ連がその気になればこの『兄弟殺し』はかたがつく。同じ宗教、同じ同胞だからだ」という。「そのことに気付くのに10年の歳月と夥しい血が流されたのに」と思う。だがこちらの方が生き急いでいる、現世のうちに幸せになろうとあられもなく髪振り乱しているのではないかと、考え込んでしまうアフガンがある。2000年以上も前に発明されたであろう木製の轍を付けた手押し車が古都バルフのバザールに並び、手や足まわしのロクロやヤスリが停電しきりなカブールの町中でゆっくりと働きつづけている。みな「自分の道具」なのだ。「深い井戸と平らな道路と電気がくれば、もう言うことはない」と反政府ゲリラの支配下だった村の長老はいう。だが、その手首に時計がひかり、ラジカセの音色が土煉瓦の家々から聞こえてくる。欲しいものはいつかは手にできることを数千年の知恵で知っている…と思う。あくせくしない「時間」をしかと持っている人々に出会って、「人間とは…」とたびたび腕をこまねいたものだ。