『よみがえれカレ―ズ』製作の暦 『よみがえれカレ―ズ』パンフレット 初版3月10日 記録社 <1990年(平2)>
<はじめに>

 1985年春、のちにこの映画の原案、演出、カメラを担当した土本典昭、高岩 仁、一之瀬正史は、「アフガニスタンを知る会(現在の日本・アフガニスタン友好協会の前身)」の一員としてカブールを訪問し、その四月革命記念日を中心にカメラをまわす機会を得ました(前カルマル政権下の市民と近郊農村の生活記録)。それが最初のアフガン体験でした。
 1988年2月、ジュネーブ和平協定の進捗をまのあたりにして、映画スタッフや日本・アフガニスタン友好協会などから、あらためて記録映画製作の機運がうまれました。日本側の製作母体として「日本・アフガニスタン合作記録映画を実現させる会」が結成され、以来、今日までにその会員数 800人、基金は 710万円におよびました。映画のプロデューサーとして庄 幸司郎(記録社)、山上徹二郎(シグロ)がその任にあたりました。以下は二年間の製作のあしどりです。

 88年3月末、合作映画の案(『遺産と和解』仮題)をたずさえて庄プロデューサーほか野口寿一(企画者・友好協会事務局次長)、松原 明(…実現させる会事務局)は3月29日よりカブールで開催されたアジアアフリカ人民連帯機構主催「地域紛争解決のための国際世論の役割」の会議に出席、合作映画の製作を発表、予想をこえる反響を得る。

4月13日、「…実現させる会」によって壮行パーティがひらかれる。

<4月14日、ジュネーブにてアフガニスタン紛争解決のための和平協定調印>

5月9日、ロケ・スタッフ(別紙参照)と日本・アフガニスタン友好協会会長(代理、野口)出発。山上、野口、合作映画契約の交渉に入る。調印、同月18日。アフガン・フィルムズが共同製作者になることが決まる。

ロケ第一期(5月6日~6月21日まで)。焦点は5月15日のソ連軍撤退におかれるが、12日バザール、13日のモスク・結婚式などからクランク・イン。

5月14日、ソ連軍基地、ソ連軍司令官やナジブラ大統領の記者会見。

5月15日、ソ連軍撤退当日。パキスタン国境に近いジャララバードから撤退第一陣の取材は割り当て制と人数制限のため土本、高岩のみ夜間、空路で現地へ。熊谷博子、一之瀬 らスタッフはカブールとその周辺の取材。

5月17、18日、ソ連軍撤退を追ってカブールから全員ソ連領(ウズベク共和国)までロケ。5月下旬まで、カブールでの難民取材班とカレーズのロケハンの二班。撮影助手としては北条 豊ひとり。近郊農村ロケ。

5月29日 新憲法下の国会。ナジブラ大統領演説取材。

5月末、桑原史成、つづいて通訳桃井和馬カブール到着。

6月 8日~13日,ジャララバード、守備隊、パキスタン国境(らくだ隊商路)ロケなど。6月 9日 ジャララバード大学ロケ、そのあと急遽、仏教遺跡ハッダの撮影(危険地区)アフガン・フィルムズのスタッフの参加により取材範囲、深くなる。

6月下旬、一旦帰国、撮影分をまとめ、アフガン・フィルムとの今後の方向決定の参考フィルムを作る(東京)、「…合作記録映画を実現させる会」の激励会。

8月8日、ソ連軍、首都カブールから撤退。市内に反政府勢力のロケット攻撃激化。

8月17日、パキスタンのハク大統領、搭乗機の爆発で死亡、ブット新首相となる。

8月20日、イラン・イラク戦争、停戦調停決着。

9月 7日 企画案『眠れる泉<カレーズ>の復活』(仮題)をもってアフガン再訪。

ロケ第二期(88年9月7日~12月中旬まで)山上、土本、熊谷先発。打ち合わせと各地ロケハン、前期のフィルムが今後の撮影の方向づけに役立ち、国境での難民取材、地方農村での滞在、カブール博物館のロケの可能性が開ける。アフガン・フィルムズ、ラティーフ(共同監督)の線でヘラート近郊農村(カレーズ)地帯の、部族の長、元反政府ゲリラのリーダー、サイーディらと親密になる。

9月17日より、北部のマザリシャリフ、バルフ各市のロケハン(土本、熊谷)

9月27日、絨毯のロケハンをおえた夕刻、至近距離のバザール街にロケット。その爆発現場を撮る。第二期のクランク・インとなる。

10月5日より1ヵ月イランにちかいヘラート市ロケ。農村とカレーズの調査撮影にはいる。 中旬、ブルー・モスクを中心にイスラム建築、その工房ロケ。通訳林野 緑到着。

10月20日、ようやくハジ・アフムッド・サイーディのバダルー村に宿泊。土本・高岩班は生活・カレーズと農民を、熊谷・一之瀬正史班は自衛組織、村の「国民和解」を撮る。

10月30日、夜陰にサイーディの村にかれを訪ねた反政府ゲリラのコマンダー・ゴラン・ラスールにインタビュー、かれらの話し合いを撮影する。農村の女性、子供、カレーズ…。

11月6日、イラン国境イスラムカラに難民取材とロケ。

11月12日~22日 カブール博物館ロケ。外山 透の照明で土本・高岩班、中世までを撮る。

11月15日~23日 熊谷・一之瀬班、ジャララバ-ドロケ。アジア・ハイウェーでロケット攻撃に遭う(16日)。山頂基地。オリーブ工場、ジュース作りの仕事場インタビュー。

11月27~29日 マザリシャリフ、バルフロケ。バーミアンロケの可能性は断念。

12月上旬、熊谷・一之瀬班、未亡人同盟。墓場の女性たち取材。刑務所の取材を試みる。12月中旬にかけてそれぞれビザ期限いっぱい使い、拾い残しを撮影し、年内帰国。

89年1月より5月まで土本、熊谷ほか、藤本幸久・林野・青木基子、そしてアフガニスタン出身女性で言葉の採録作業、編集。栗林豊彦、録音。

5月下旬ダビングする。

89年2月15日 ソ連軍、アフガンより完全撤退、反政府勢力のロケット攻撃つづく。

89年6月、完成記念特別試写会。そののちダリ語版ビデオ・オリジナル製作、送付。

90年1月、合作映画契約による英語版完成。両国同時公開にいたる。

(敬称 略)