いかにして題名をつけたかー-『よみがえれカレーズ』の顛末 『東京新聞』 3/1 <1990年(平2)>
 日本・アフガニスタン合作記録映画『よみがえれカレーズ』の日本語版を製作して半年になる。この間、東欧の民主化が流血をほとんど伴うことなく遂行されているさまに心揺すぶられながら、アフガニスタンを記録映画にとったものとして、その国のひとびとのことをしきりに思い出していた。非同盟路線・中立、一党独裁の否定、多民族国家のありかた、そして国民(民族)和解政策など、どれをとってもアフガニスタンの現路線と重なって見える。それだけに「すっかり忘れられている」との思いしきりである。アフガニスタン問題の解決の模索こそ、今の一連の激変のさきがけだったのではないだろうかと。
 ソ連軍の完全撤退からまる一年たった今日もなお、首都カーブルには、米国、パキスタン、サウジアラビアに支援されている反政府勢力のロケットが打ち込まれ、市民が無差別に殺傷されている。内戦停止を呼び掛けている現ナジブラ政権は国外の反政府勢力に、交渉のテーブルにつくよう訴え続けているが、この国民和解への動きが一向に進展を見せていない。国連がその影響力を発揮した「ジュネーブ和平協定」はほとんど失効しているかに見える。アフガニスタンはそれでも動いていよう。
 さて、この記録映画はクランク・インの頃、その仮題を『遺産と和解』とした。ついで『眠れる泉(カレーズ)の復活』にし、最後に『よみがえれカレーズ』とした。三転した。迷いもした。これはそのままの映画のこの二年間の「履歴書」でもあった。
 はじめは、その国のひとびとの内戦下の生活、平和への手探りと、世界の遺産シルク・ロードの現状をテーマにしたものであった。当時アフガニスタンからの情報といえば、難民の流亡の地パキスタン側から取材したものが多くを占めていた。また入国取材の場合も、首都カーブルか比較的平穏なマザリシャリフなどに限られ、農民や都市のひとびと、とりわけ女性、こどもの日常生活をうかがい知る事のできるものが少なかった。政府側が勝利するか「聖戦」を唱える反政府ゲリラが勝つかといった観察が主流でさえあった。映画は「普通のひとびとはどうなっているのだ?」という設問から出発した。そしてその暮らしの底流を辿りたいと願った結果、アフガニスタンの地下水脈(カレーズ)につき当たった。 撮影は二期に分かたれた。後半のロケにあたり仮題を『眠れる泉(カレーズ)の復活』として提出した時、共同製作側のアフガン・フィルムズのスタッフは手放しで賛同の声をあげた。それは、映画がアフガニスタンの表層だけではなく、この国の地下の流れ、つまり地下人脈を描いてほしいとも聞き取れた。以来アフガン・フィルムズの協力は強いものになった。題名『よみがえれカレーズ』はその願いを込めてつけた。
 アフガニスタンは中央アジアの乾燥地帯、土漠と高山の国、海の港を持たない内陸の国である。だが、ひとびとは高いヒンドゥークシ山脈の雪解け水がアフガニスタンを潤している、ここは「太陽と水に恵まれた国」と説いてやまない。また、他民族国家の典型のような国だ。国民の構成はパシュトゥーン族をはじめ、タジク、ウズベク、ハザラ、トルクメン、ヌーリスタンなどと多様だが「同じ泉の水を分かち合う」といった言い回しで他民族、遊牧民の間の調和を計る知恵がある。いわゆる長老会議、ローヤジルガでの合意が、いつの時代もこの国をひとつにまとめてきた。ましてイスラム教徒の社会である。国民和解にむけての政府作りは、「納まるところに納まるごとく何時の日にか実現しよう」と語られる。映画はこの楽天性に救われて作られたといって良い。内戦の現実は惨たらしく、貧窮は底をついた感がある。しかし、どこかしたたかに強く明るい。そのキーワードを地下水脈・カレーズ(英文タイトル「アフガンスプリングス」)としたとき、映画は実質的に合作映画の方向へと歩みだした気がしてならない。
 (九〇・二・一三)