やはり水俣病をとことんまで見続けて教訓を引き出していかなければ…『勧進J『死民の道』『実録 公調委』を語る(講演録) 『くりっぷ』 No.7 5月19日号 杉並記録映画をみる会
土本典昭の部分のみ
土本
なんかすごい質問がきているので、答えられるものから答えていきます。「このフィルムはどのような方法で上映されたか。マスメディアはどういうように報道したか。またこの映画の反響はどうだったか」ということ。それから、
「この映画で高岩仁という方がキャメラを担当しておられるようですが、撮影する対象は監督が指示されたのですか。あるいはキャメラマンと一緒の判断によるものですか」この高岩仁というキャメラマンのことが出ているのはおそらく、ずっとアフガンも私と一緒に撮っておりますし、最近では黒木和雄の「浪人街」という映画もキャメラマンをやっておりますので、この人の名前を出されたのではないかと思われます。
それから緒方正人さんについての質問ですけれど、現在、三五、六歳ですか。患者さんというよりも、かつて申請患者のりーダーだったんですが、申請を取り下げまして、「私はもう行政から認められるという形はそういう仕組みには自分はもう乗らない」ということで自ら申請を返上した人です。で、「この人は、今も本社前で一人で座り込みをしていると聞きましたが、その行動はどうか、誰が支えているか」という質問ですけれども、これは簡単にお答えします。
現在は座り込みをしておりませんし、チッソの工場の前で座り込みをしたのは一昨年の春から夏にかけてでございました。現在はもういろんなことを考えながら水俣という問題を自分の一生にとってどういう風に考えていくのか、ということで考えておられますけれども、すわり込みという形はとっておりません。
それから、この映画を観られた方には大変いい質問だと思うんですけれど、この当時テレビでこういったことを、たっぷり放映するようなことがございませんから、とくに東京であった出来事を熊本に知らせるということは、あるいは水俣に知らせるということは、大変なことでした。ちょっと今日のプログラムの案内に書いておきましたけれども、とりあえず撮ってですね、水俣へ持って行ってですね、映画で観せると。
で、その時 参加した患者さんが、そこであの映画にあった話はこうなんだと、冗談で「映画と実演」というふうに言いますけど、映画としゃべるということがセットでですね、説得力をもっていたと。水俣は、こういう映画ですらですね、観に来る機会が限られてしまって、水俣の患者さんで観だのは少数ですけれども、熊本なんかの場合ですと、会を用意して、映画と報告の会を用意して、映画と報告の会をやるということで、「実録・公調委」にありましたように、百人近い青年がですね、熊本からパクられるのを覚悟で東京に上京して、総理府におしかけるというような行動をしたわけですが、そういった人達がその映画を上映してくれたということで、非常に限られた、ミニコミもいいところです。今で言えば何にたとえられましょうか。本当にミニコミの映画として動いていたということです。
『勧進』のですね、リーダー格の田中義光さんに関する質問ですが、「田中さんの心境がやってみてどういう風になったか」と質問がありますが、やる前とやった後と全然変わらなかったと思います。
それから「死民の道」の中に、チッソの五井工場というのが出てきたけれども、私の友人の「ヒガシダイラ」という人がチッソの五井工場にいて。遊びにいったことがありました」という質問を頂いたんですけれども、ひょっとしたら患者さんが言っている「トンペイ」さんという人じゃないかと思うんですけど、「東」の「平」と書くんですが、この人は立場上患者さんの正面にいつも立たされていた、会社側の総務系統のかたです。患者さんは「トンペイ、トンペイ」と言って、会社は憎いというふうに思うんですけれど、個人的につきあうとですね、何となしに「トンペイ」という人にユーモラスなところを感じていたというわけなんですが、そういう人とおなじか、違っているかわかりませんが、そういう方だと申し上げておきます。
それから「「死民の道」に五井工場の事件があったが・・・」という質問ですが、簡単に言いますれども、チッソは水俣の工場をほぼピークが過ぎました後に、千葉県の五井に最新の石油化学系統の工場をつくります。
その工場に水俣からもずいぶん配転で行きました。第二組合である新労の人が多く、結果的にはですね、非常に愛社精神の強い人達が五井工場の労働組合の中枢におりました。そこに川本さん達がなんとか自分たちの主張をわかって欲しい、ということで話し合いにいきます。すると話し合いを拒否、結果的には拒否してですね、はやく帰れということで、突然暴行事件になります。暴行事件というのは、面会強要だということで労働組合の人から殴られると、これを五井事件といいます。
第二組合員の方ですが、有名なアメリカの写真家のユージンースミスは頭を強打されて視神経がやられるというようなことがおきた。で、その経過が報道されまして、非常にチッソの体質を世の中にぐさりと見せてしまった。そういった、いわば「会う、会わない」「話し合いしよう、話し合わない」そういう結果から生まれた暴行事件として五井事件というのがございます。
私が、現在の水俣をどう見ているかという点になりますと、率直に言って水俣に行って見てみたいと、見てからでないと十分に考えがまとまらないというところがあります。しかし流れとしてはですね、やはり水俣病の幕引きをといった、こんなことがまかり通るかと思っていたんですが、行政の手がですね、次々と打たれてまかり通ってきているなと思います。それと同時に患者の組織もですね、さらに甘夏問題(農薬汚染の甘夏を一部混入して出荷したとして問われている)とかいろんなことが介在しますけれども、形としては分裂したり、相互に組織が孤立したりしてですね、非常に困難な状態にきていて、未救済の被害者に対する切り捨てということが行政からだけでなく、内部からも切り捨てを助けるような状況が生まれてきていると僕は見ています。
しかしながら一方では、最首さんがいわれたように、これから年内上映します映画でそのことを観ていただきたいんですけど、私は不知火海の離島とか水俣の対岸、天草のいろんなところを見てきました。で、水俣病の患者が、どんでもないところまで出ているということを映画に撮ってきたものですから、その人達を見た責任いうか、撮った責任を絶対になくすわけにはいかないという風に思います。
じゃあ私がそうやってつくった、映画を水俣の人は観たかといいますと、別の機会にも言いましたように、観てないんです。ほとんどの人は観ていません。水俣の患者の数人しか観ていません。ですから映画を観てくれたら、あそこの離島にも自分と同じ人がいると、あるいは一番ひどい人も、一番ひどい部類に入る人もいるということがわかると思うんですが、そういったことを感じます。
それからもう一つは、私がこのフィルム(『水俣―患者さんとその世界』)をもってアメリカ、カナダそれからソビエト、いろんな国を持って回りました。また人に託して、朝鮮人民民主主義共和国、中国にも観せました。で、結果はですね、残念ながらどこも当局側の反応はございません。人々の側は非情に反響がありました。
そこでですね、そういった国で水俣病が起きているケースを言いますと、どこの国で起きてもですね、日本の水俣病事件と同じ経過をとっているんです。まず第一に、企業側が積極的に調査しない、政府が医学的な救済とかですね、疫学的な手を打たない、それからですね、データをごまかす、それからですね、反論を撒き散らして結果としてウヤムヤにしてしまうと。
いろんな国でのやり方が、日本の水俣病の場合に生き写しなんですね。で、やはりその生き写しのままでまかりとおっている今の世界というか、環境に対する問題というのは、やはり水俣病をとことんまで見続けて教訓をひき出していかなければ、やはりいけないと、そういう気持ちでいるということだけ、今申しておきます。