チッソに対して一生の補償を迫る激しい闘いがあった『水俣一揆』を語る(講演録) 『くりっぷ』 N0.8 6月15日号 杉並記録映画をみる会
こんばんは、土本典昭です。今日上映致します『水俣一揆』は、一本の作品に仕上げるようなつもりはなくて緊急報告の形で作りました。裁判が終りまして患者さんが東京に駆け登って、チッソに対して自分たちの一生の補償を迫るという、激しい闘いがございました。その闘いがいつまで続くか分らない段階で、ともかく全国の方に分りやすくまとめたのがこのフィルムです。
そのために闘争の前半だけで繋いでおります。そしてこの映画を発表した後に協定が成立して、日本公害史上最高と言われ、その当時としては画期的な考え方を反映した水俣病補償協定を、患者さんは獲得しました。
ですからこれはニュースのようでございますけれど、一面で良い点は、患者さんの言い分を徹底的に聞いて頂くようにまとめております。それからチッソも自分たちの考え方を、とことん申し述べております。そういった意味で激しいぶつかり合いが展開するわけですけれども、皆さん方それぞれの中で水俣病問題というのは、どういうものであったか、わかって頂くのに相応しいフィルムになったのではないかと思います。
今日はこの映画を撮影しました大津幸四郎さんも来ておりますので、終りましてから映画の事についてもご質問を受けたいと思います。
大変たくさんの質問がきております。
島田社長の人格や、亡くなられたときのエピソードなどについても質問がございますけど。一個の父として、あるいは夫として、会社というものに携わってチッソの責任を負うという局面になった、島田さんについて質問が重複していろいろな方から出ております。
それをまとめて、島田さん関係ということで、私の意見を述べさせていただきます。最首さんにもそのことが質問されておりますので、後でお答え願いたいと思います。
私ごとになりますが、私の父親がある電力会社の総務課長をしたおりまして、いろいろな補償とか埋立てとかダムとか、そういことで、今、省みれば、島田さんと同じような立場にいた人間です。
父親がこの映画を見た時に、いたく島田さんに同情しまして、「あそこまで会社の責任者として、追い詰められては、言いたい事は言えないし、ああいうふうに黙りこくつてしまうというのは良くわかる」と。しかしながらこれも父の意見ですけれど、「患者さんが、あれほど駆け引きなしに真剣に怒るという事は、やはりショックだった。それだけ水俣病の問題が根が深かったんだろう。やはり会社は組織で出来ているから、前任者が過失を犯しても後の代の責任者が責任を取らなければならない。これは当然だけれども、そこのところが実に自分には痛かった。」というふうに申しました。その父の言い分の中には、島田さんへの同情がありながら、それにしてもチッソは相当もひどい過程を、通ってきたのだな、という思いがあります。私の意見をもうしますと、島田さんという人は、裁判の終った時に、登場出来た唯一の人格だと思います。もともと技術畑の出身だと聞いておりますけれども、私が撮影しながらみたところでは、映画にその通り出しておりますように、なるべく誠実に聞こうと、なんとか誠実に答えようと、一生懸命でございました。しかしながらその行き違いはどうしょうもない。
つまり島田さんのバックには化学工業界全体の姿があるつまり島田さんのバックには日本の化学工業界全体の姿がありますし、実際に彼が映画の中でも言っておりますけれども、患者さんの総数として千五百人は出るだろうと。あの時たしか三百人は超えていたかもしれませんが、それくらいの段階で彼がチッソの中で集め得た情報として、千五百人までは出るだろうと、それはとても払えないということで、国にそのつけを回そう、回せる、この問題では国も共犯だ、というような思いで患者に対していた節があると思います。
その事を患者は非常に警戒し、怒るわけですけれども、そういった中で彼の個人的な善意とか、信条とかいうものを越えて、患者との話し合いが切り裂かれてゆくという悲劇を見た感じです。しかし全体には、重役たちの動きに出ておりますように、なんとか低額で、場合によったら、三百万円ぐらいで済ましてしまう患者さん、年金なんか払う必要がないと思う患者さん、いろんなランクがあって、かって訴訟をした古くからの患者さんと違うんだと、新しい患者さんは症状が軽いんだと、それには安い補償金で良いんだ、というランクをプランとして描いていたと思います。
そういった事で、島田さんは亡くなりましたけれども、この時の体験というのは島田さんのご家族にも深く刻まれていたと思います。
それと言いますのは、水俣大学の構想が出来まして、いろいろと人と繋がりを持っていた時に、相思社の柳田君と島田社長の娘さんと繋がりが出来まして、「私の父をもう一度見たい」とおっしゃって、たしかビデオでお見せしたと思いますが、そういった流れからいいますと、ゆるぎない父親像を残されたのだと思います。しかしいかに善意の人であってもチッソという会社で、チッソの歴史を背負った以上責められるべき事は、責められなければならなかったと、はっきり思っております。