『医学としての水俣病一三部作-』第一部 資料・証言篇 上映会用チラシ 6月15日 杉並記録映画をみる会
水俣病はその原因が判明するまでに3年かかりました。その時期の「奇病」研究のあしどりをとどめた『学用フィルム』が熊本大学の教授の研究室にありました。その素材を生かし、あらたに水俣病の医学解明の歴史としてまとめたのがこの映画です。
患者さんは『フィルム』に撮られたことを口外しませんでした。当時、飼ネコの踊り狂うさまから「ネコ踊り病」とか、「ハイカラ病」、脳を犯されることから「神経どん」など、さまざまなよび名が流され、「見苦しか」との思いがまず患者さん自身にもあったのでしょう。十数年後、裁判をはじめ、その証拠品になりはしないかと、患者さんはようやく幻の『学用フィルム』の所在を口にしたのです。それが映画『医学としての水俣病-三部作』』(1974年)の実現のてこになりました。
医学者は「水俣病の前に『水俣病』はなかった」といいます。イギリスで有機水銀を吸い込んで中毒した例がこの映画のなかでも語られますが、自然環境がまるごと汚染され、その海の魚介類を食べつづけた人が発症、死亡するといった例はなく、また水俣病特有の運動失調や発作の記録は、静止した写真画像では不十分。そこで「乏しい研究費のなかからフィルムを買ってともかく撮った」(徳臣教授)ものでした。この『学用フィルム』はすり切れるまで学内で映写されました。しかし「あまりに衝撃的で法廷には出せない」として、73年、裁判の終わるまで門外不出でした。いわゆる急性激症型水俣病の実像は、患者さんの勝訴のあと、初めて映画で発表できたのです。
この映画には、水俣病事件前の、豊かな漁場だった水俣湾を語る渡辺栄蔵氏(訴訟派代表)の話にはじまり、元チッソ労働者の水銀現場の証言、胎児性患者を突き止めるまでの経過、小児性患者の成人式のほか、水俣湾のヘドロ(底泥)の埋め立て前の堆積状況などが撮影されています。水俣病を医学の側面から描いた資料証言集として作られました。
製作高木隆太郎、助監小池征人、撮影大津幸四郎、助手一之瀬正史、録音浅沼幸一ほか。