医学者がいかに水俣病を見たか、取り扱つたか『医学としての水俣病―三部作』第一部 資料・証言篇を語る(講演録) 『くりっぷ』 N0.9 7月28日号 杉並記録映画をみる会
こんばんは土本典昭です。質問をされる場合に念頭に入れておいて頂きたいことがありまして、質疑応答の前に若干解説をさせて頂きたいと思います。これは十六年前のフィルムで、その当時、中間報告としてこの映画を見て頂きたいと申し上げて世間に発表したものなんです。
いま見直してみますとですね、このフィルムだけではちょっと言葉が足りないなと思うところがございます。「医学としての水俣病」は三部作になっています。その第二部、第三部には、私が第一部だけでは言葉が足りないなと思ったところが、言及されていると思うんですけど。
言葉の一番足らないところはどこかと申しますと、この映画の中では典型的な悲惨な水俣病患者の原像というのが、紹介されていまして、皆さんも強い印象を受けられたと思うんですが、水俣病の現れ方というのは、この映画を撮った時期から、典型的な原像だけではなく様々な形が考えられるようになったんです。その指摘が言葉たらずになっています。(お渡ししました資料のなかに、『用語解説と補足』という紙がございますけれど、これが私の自己批判の為に作ってきたものなんですが)
この映画にも出てきますけれども、水俣病の特徴をあげるのに、ハンターラッセルという二人のイギリスの学者が発表しました有機水銀中毒、すなわちハンター・ラッセル症候群として集約した病状の特徴を目安にして、水俣病を考えてきた長い歴史がございます。
共通の病状として、感覚が麻疹してしまう感覚障害、言葉がうまくしゃべれない言語障害、正常な運動が出来ない、例えば水を飲むことも出来ない、煙草を口へ持っていこうとして もなかなか出来ない。歩きが出来ないという運動障害、其の障害、まん中しか見えない目の障害等のいろいろな障害をハンター・ラッセル症候群としてあげています。資料に書いてありますけれども、ハンターラッセル症候群というのは、イギリスの有機水銀を扱った農薬工場で、そこの粉を直接に吸ったために出てきた病気で、非常に典型的な現れ方をしているわけです。
水俣病が一番大量に出まして多くの方が亡くなった時期は、ほとんどハンターラッセル症候群が出そろっていたんですが、水俣病の長い歴史の中で、水俣湾内の魚を漁獲禁止にしないとか、ヘドロを取り除かない間にわたって毒が魚の中に蓄積されて、その魚を食べた人たちが病気になるということがおこってきます。工場で毒物を飲んだのと、自然を汚染されてその中の魚をたべた為に猫や人が苦しむという状態とでは症状の現れ方が違うことは分ってきました。その点の説明が今の映画に非常に欠けていると思います。
言葉の端々には、長期間に微量汚染の魚を食べ続けているとそれが溜まり溜まって慢性型の水俣病が現われることや、妊娠されたお母さんの摂取した水銀が、結果としては濃縮されて胎児性水俣病を引き起こすという説明は行なわれておりますが、この第一部では明確に説明しきれでいません。
ここに証言された先生方の中では、やはり自分が研究し発見した水俣病の典型症状にとらわれるあまりですね、その後たくさん申請された方々を、「これは水俣病ではない、全部の症状が揃っていないじゃないか」という形でオミットしていくというふるいわけがなされるようになりました。そしてオミットする理由というのは、それを認定すれば、その人をチッソは補償しなくてはならない、そういった補償とむすびつく為に認定をなるべく限定しようという考え方におち入りました。
ここに登場した先生の中にも残念ながら、かつて原因をつきとめようとした時期の熱心な研究態度と違って、申請にあたってふるい分けをするという医学行政的な役割をもたれた方もおられます。先生方が水俣病はどういう原因から生まれてきたかという苦労話をなさるとう点では、大変な努力をされた方としてこの映画に登場していますけれども、その後は過去の典型的症状によって与えられ印象を、そのまま現在も不知火海におられる多くの被害者像に当てはめて、これは水俣病ではないと棄却処分を宣言していく立場に立っている方もおられます。
この資料の中にはだいたいの流れが書いてありますのでそれを一応念頭にいれて、この映画のご感想なり、映画そのものについてのご意見を頂きたいと思います。
今日は私の不知火海の友人で、漁をしておられます緒方正人さん来て頂いておりますあとでご挨拶をしていただければと思います。
緒方正人さんはお父さんが今日の映画にありましたような急性激症で亡くなっておられて、お母さんも患者さん、ご兄弟にも大変たくさん患者さんがおられます。また甥や姪も胎児性水俣病患者と認定されており、一家眷属(けんぞく)すべてが水俣病という方です。
ご本人は現在行政の認定制度のもとで永く処分を待たされていましたが、自ら申請をとり下げ、「自分が自分自身で自分を水俣病だと思う」という意思表示をもってこれからの水俣病問題にかかわることを宣言しました。その意味で水俣病運動のみならず、これからの不知火海の指導者の方だと私は思っております。
質疑応答
質問一
当初熱心に研究された教授の方が、序々に「ふるいわけ」の役割を担っていくということをおっしゃっていましたが、これはとても悲しいことで、「このことのみ」ではないと思います。何故なのでしょうか、他の運動でも同じような現象が見られるように思います。
回答 土本
この質問は本当に本質的な質問だと思います。先程もお断わりで申し上げたわけなんですが、水俣病患者を認定するという行政上の制度が、水俣病の研究の第一段階の最後の昭和34年の末に完成するわけです。それは患者さんと認めたらその生活を補償しなければいけない。わずかな金ですけど見舞金を出さなければいけないという役割を、お医者さんたちで作っている水俣病認定審査会が請負ってしまったわけなんです。
もともとチッソは患者の発生つまり認定患者を極力少なくみてほしいとつよく望むし、また国県もお医者さんたちに委嘱する立場を利用して、暗暗裏に患者の発生をなるべく押えてもらうといういろんな社会的な力が働らきました。この認定制度が出来て以来、水俣病の発見の途上に有機水銀をつきとめるために大変苦労なさった諸先生方が、その後患者の家を歩いて往診したり、そのあとを追跡したりすることがなくなったんですね。
「自分たちの見るところ1960年、昭和35年で水俣病の発生は終った」と発言します。そう言ってしまった医者は実は水俣病を発見した功労者です。功労者でありながら終ってしまったと言ってしまうんです。その為にその後8年間ほとんど胎児性の子供を認定する以外には患者として認定しておりません。
そういったなかで厚生大臣が昭和四十三年に初めて「水俣病の原因は、チッソのたれながした廃液による」と公式に国家として認めます。この時から裁判が始まり。「やはりそうか」ということで患者さんの闘いが始まってくるわけなんです。
質問二
現在の段階でどれくらいの水俣病の認定申請者がいるか?
回答 土本
この映画の時期には、七百人から八百人ですが、現在では熊本県と鹿児島県だけですが二千人を越えていると思います。申請患者は一万人を越えています。
認定審査会のメンバーの医学者は現場、つまり水俣病のフィールドを見ないで、過去の水俣病の典型症状の組合せを重視して、あとは水俣病とは認められない、健康のかたよりがあることはわかるけれども水俣病のせいではない、あるいは他の病名をつけるどいうかたちで多くの方が棄却されているわけです。一説によれば大学の入学試験よりむずかしいと、水俣病と医者に認めてもらうのは本当にむずかしいという声が、水俣には現実としてございます。
質問三
水俣病史としてみました、『医学として』と題をつけた意図と思いを知りたいです。(科学をどうみるかということと関連して)またどのような観客層を想定されて作られたのでしょうか。
回答 土本
このフィルムを作っているときの第一の観客層は、水俣、芦北、不知火海に住む患者さんたちに、つまり被害を持っている方々に見て頂きたかったんです。というのは水俣病がどういう病気か、だれも教えてくれないんです。
それで町の保健機構も「水俣病はこういう病気だから、そういうおそれのある人は訴え出なさいと、回覧板一つ書いたことがないんです。
水俣市の公報ですらこの映画から五~六年たってから初めて「我が市には水俣病という歴史的な事件があった」と市の公報に書く始末で、全然モデルを用意していなかつたので、第一の観客層は地元の方々と思いました。
それから私が医学について素人ですから、素人でわかるまで聞くということでこの映画を作ったつもりです、ですからこれを大学へ持っていって買ってくださいというと、大学の先生は笑うんですよ。「私だったら十分間の映画にする、十分間で水俣病はこういう症状がある、パッパツとこれでいいんだ」学校の授業では十分から十五分間の医学のフィルムで充分なんだ、後は講義をすればいいんだとおっしゃる。
私は医学生ではありませんし医学のインターンで水俣病を学ぼうという人間ではございませんから、水俣病の医学面だけでなく、その発生から解明までの歴史を語ると。「医学として」とあえて銘うったのは医学の問題に決まっているんですが。医学のサイドはどういうふうに水俣病を取り扱かっているかということを社会の視点で訴えたかったということです。
質問四
もっとも軽い症状の水俣病とはどういう現れ方をするのか。(このタイプがもっとも多く現われていると思うので)有機水銀は体内から全然出でこないのか、水俣湾の環境保全の努力は現在どうなっているか。
回答 土本
答えやすいのからお答えしますと、水銀は体内から少しづつ出ます、だから毛髪水銀というように毛髪を切って毛髪の中に出てきた水銀の量をそこから調べることをします。体内から全然出てこないということではありませんけれども、体の中に滞留したときに細胞を破壊していくということだと思います
それからもっとも軽い水俣病というのは、僕は説明できません、そういう人にあたことがありません。というのは見たところ座ってじっとしておられたら普通な様子ですけど、手がしびれているとか、ものをしゃべりだすと口がうまくまわらないとか、いろいろなことがあります。
そういう症状だから逆にいうと『そういう人がパチンコをやっていた』と、「あの人が水俣病なんていうのはニセだ」という噂も出るくらいなんですけど、やはり水俣病は深いところで人体を侵していますから、だからその人だちと生活をともにすれば実によくわかるんですけども、それをポンと診察室に連れてきて重いか軽いかといっても、それは医者でもわからないことがあると思うんです。日常生活のなかで何が失われているかというのを見ると症状はつかまえられる。
その上で生活歴と照合すれば水俣病かどうかは分ると思います。その意味で僕は重い軽いというのはないと思います。一番重たい人はどんどん亡くなられたわけです。では、生き残られた患者は?といえば軽症といえないこともありませんが、そのひとりひとりの症状の軽い重いを決めるものさしはなく、説明しにくいと思います。たつもりでおります。特に第三部は臨床・疫学編と申しますけれども、この中では水俣病の患者をどういうふうに患者として発見してを見て頂ければ患者さんが現在どういう状態かが、そういういろんな例から類推して頂けると思つております。
質問五
土本さんの水俣のかかわりと、岩波時代の理科映画製作から通じるものがあったのか。岩波の科学映麟の社会性人間への興味(生命、宗教)とかはあったのか。
回答
土本
かなりプライベートなことになりますけれども、私は岩波時代には科学映画、医学映画は一本もやっておりません。むしろ不得手で、僕は社会的なものをやりたいと、科学映画的なものはあまりやらなかったほうですけど。この映画を作りましたのはチラシにも書きましたけれども、私たちが水俣病の最初の映画を撮っておりますころ、熊本大学の先生方が大変な資料を持っておられるというのを知っていたわけです。それを提出して頂いて、いまの医学の一番大事なところをお話して頂きたいということから、素人にもわかる水俣病のメッセージをそのお医者さんに解説して頂きたいということで、いわゆる普通のドキュメンタリーのつもりで作りました。ですから人体とか医学とかいうものの興味というよりも、やはり水俣病が社会的にどう扱われているか、水俣病は現在どういう医学的な展望の中にあるのか。どういうふうにごまかされているのか。どいうところがネックなのかと、そういうところを二部三部でも追及したつもりでおります。特に第三部は臨床・医学編と申しますけれども、この中では水俣病の患者をどういうふうに患者として発見していくかという、実際に目の前に患者をおいて診察してゆくシーンが取り上げられております。それをみていただければ患者さんが現在どういう状態かが、そういういろんな例から類推していただけると思っております。
質問六
アメリカNIHのガーランド博士による猫実験の追試に関する場面がありましたが、この追試がどのような影響力を持っていたのか。
回答
土本
NIHというのは、ナショナル・インスチゥト・オブ・ヘルスといったと思いますが、衛生研究所とでもいうんでしょうか、これはどなたの質問が知りませんけれど、非常に良く見て頂いたと思うんですけど……。
その当時猫実験は主として熊本大学の病理の先生や臨床の先生を含めて動物実験をやっていたんですが、その人たちがいろんなデーターをかさねても熊本大学の評価というのは高く見られない。丹念なテストを繰返し、フィルムに撮ったりして見せていくんですが、なかなか日本の医学界に正当な地位を占めにくい、というところから逆にアメリカに水俣湾のいろんな貝とか餌を送って、アメリカのまっさらな猫で実験してもらって、そこからネコの水俣病をとりだす。それでまちがいなく水俣病がアメリカの研究室内でもおきたと、食べ物によって、水俣で採れた貝を与えることによって生れたという側面援助して頂いたという意味で、ガーランド博士の追試は影響力をもちました。