『医学としての水俣病一三部作』第三部 臨床・疫学篇一被害者の側に立って救済にあたる一医師の苦闘の記録(講演録) 上映会用チラシ 8月18日 杉並記録映画をみる会 <1990年(平2)>
 『医学としての水俣病一三部作』第三部 臨床・疫学篇一被害者の側に立って救済にあたる一医師の苦闘の記録(講演録) 上映会用チラシ 8月18日 杉並記録映画をみる会
 
 『医学としての水俣病』臨床・疫学編(カラー、1時間31分。1974年度青林舎作品)
 
 <解説>
 
 この映画は水俣病の実態に迫る臨床医、原田正純氏の活動と意見を描いたドキュメントです。氏は熊本大学医学部にあって胎児性患者の解明にあたった後、研究室を出て、もっぱら患者多発地帯で水俣病患者を診察しつづけてきました。その診察のスタイルは、患者の自宅を訪ね、患者と親しく接して水俣病を確かめるという原則で一貫しています。その生活環境を見ながら、患者の訴えや、その生活史に耳をかたむけるという氏の方法は、患者の信頼を一身に集めました。しかし多くの検診医は検査器具を使って”客観的”に症状のデータを検出する方法を用いました。患者は”拷問”を強いられる思いをし、症状を訴えるにもしどろもどろになるのに引き替え、原田氏の対面して患者の話を聞こうとする姿勢に、患者は心を開いて、詳しく素直に訴えることが出来たのです。この様にして蓄積された水俣病の豊富な臨床記録をもって、氏は従来の水俣病医学の在り方を問いました。
 このフィルムの撮影当時、不知火海全域から、それまで埋もれていた被害者があいついで水俣病の申請をしはじめていました。裁判のニュースやテレビの報道によって、水俣病の症状が広く伝わり、同じ海からの魚を食べ続けて身体を病むひとびとが「やはり自分の病気は水俣病では…」と案じ、訴えるようになったからです。「医者や針灸にいくら金を使ったか知れない」といったひとびとでした。原田氏はこの診察にあたりました。
 だが、そうした被害者の多くは、永く放置されたあいだに、水俣病がひきがねになって引きおこされたと思われる循環器障害や神経障害など、さまざまな合併症を抱えていました。認定審査会は、その合併症でも説明がつくとして、水俣病を否定し、つぎつぎに棄却処分をしました。そうした判断の難しい被害民が原田氏のまえに投げ出されました。氏の診断が認定審査会では否定されることもあり、それとの葛藤は困難をきわめました。
 「水俣病が人類史のうえではじめて体験する病気ならば、水俣病の何たるかは、患者の訴えを虚心に聞くことから始めよ」と原田氏は言います。氏の現場での苦闘がこの映画のテーマになりました。  
 製作高木隆太郎、撮影大津幸四郎、一之瀬正史、録音浅沼幸一、解説伊藤惣一ほか。