原田医師が超人的な努力をつみかさねられた、その時期の記録『[医学としての水俣病』第三部 臨床・疫学篇を語る(講演録)
土本
こんばんは、土本典昭です。この映画は水俣病であるかどうかをきめるにあたって一番困難な迷いの多いケースを取りだしております。映画が終ってからまたお話ししますけれども、このなかに登場した方は未認定のまま亡くなったり、いろいろしております。原田さんは「自分としては水俣病という疑いがあると思う」という言い方をなさっておられますけれど、それは御自身ではっきりと判断をしておられる場合でも、かなりゆるやかな言い方をなさっております。
というのは熊本の認定審査会が非常に強い牙城(がじょう)なものですから、同じ医学者として言葉は控え目ですけど、認定審査会のいきかたに意義を申し立てる言い方が、次々と出てまいります。それを気をつけて見て頂きたいと思います。それから新潟水俣病のケースが出てまいります。新潟の方が救済の巾が広いのです。第二部病理編と同じ様なシーンがでてきますが、第三部では熊本の方で新潟のケースをどう受け取るかという、医学者間の意見交換という内容を持っております。それでは始めます。(拍手)
質疑応答
土本
不知火海調査団の団長の最首さんが、今日は出られませんで私かお答えしますけれども、水俣の詳しいことは、カメラマンの一之瀬正史君、ナレーターの伊藤惣一さんも来ておられるし、水俣問題に詳しい実川悠太君、久保田好生君、稲垣聖子さんが来ておられますので、補足してもらうようにしたいと思います。
質問一
1.原田先生のナレーションはフイルム(ラッシュ)を見ながら語られているようですが、そのようにしたのですか。もしそうであればどうしてそういう手法をされたのですか?
2.インタビューを受ける人はカメラにむかって話すのではなく、土本さんと話しているところを撮る(ドキュメントする)という手法が明白だと思います。この視点は映画の手法にまで高まっていると思いますが、この手法(映画の文体)をどうして行なったんでしょうか。
回答 土本氏
1.実は原田さんがこの映画に登場するには、かなりの決断が原田さんに必要だったといます。またこの映画のナレーションを引き受けてくれるに違いないという考えが私にありました。というのはこの映画にはすばりと語っていないんですけど、水俣病であるかどうかを審査する水俣病認定審査会の先生がたは、原田さんの先輩にあたるわけですが、その先輩たちはあがってくるデーターをもとに水俣病であるかどうかを認定する。原田さんは村に入って、患者さん世界にたっぷりと浸りながら診察を続けるという方法をとっておられる。これは原田さんが正確に水俣病を残そうという純粋に医学者としての考え方と、広く認定されなければならないというお考えでそうしておられる。やはり非常にユニークな、熊本では一人二人ぐらいしかそういう先生がいないんです。原田さんは何千という症例をつかんで、そのカルテを保存しているんですが、審査会と直につながらないんですね。
例えば、原田さんがある裁判で「この人は水俣病かどうか」という場合にカルテが有効に働きまして、審査会が棄却した患者さんでも、原田さんの証言によって判決で水俣病と認めるということが出てくる。そのように使われていますけれども、棄却とか保留の権限を持つ審査会には、彼はストレートな、道を持っていなかった。それで先輩である人達が水俣病と認めなかった例をくつがえそうと診断をしておられるわけですね。そういったことが水俣病患者には非常に支えになって、原田さん診てもらって納得したいという人が非常に多いということで、まさに超人的な努力を積みかさねられた、その時期の記録です。
今日の登場人物に即して言いますと、前坂さゆり君と言う胎児性の少女は、郵便局員の両親と住んでいたのが津奈木の魚屋の二階なんですね。魚には不自由しなかった。そういった意味では疫学的には調べれば確かですけれども、彼女は保留のまま亡くなりました。
それから最後に出てきた行商の魚屋の主人は、行政不服をして結果的には認定されました。それから順君という知恵遅れの少年も、この映画の二年ほど後に認定されました。お母さんがあれだけ視野が狭くて、口が危なっかしい人なんですけど、原田さんは審査会とは別に医療活動を組んだ。そういうことからこの映画の方法として、原田さんに自分の診察風景を撮ったものを見せながら、原田さんが自分の考えをもうI回のべるという方法で、証言力の強いものにする意図からああいう方法をとりました。
2.それからインタビューの方法を取ったのは、ごく自然な発想で、こちらが質問を用意し答えてもらう。答える時の答えかたで本当らしいかどうか、どういうデテールを語って頂くのか、ということを 一生懸命考えて撮ったつもりです。
それは編集の最後の段階で膨大な 言葉を縮めたり、つまんだりしますけれども、その時のリアリティは失わないように画面に出したつもりでおります。
質問四
湾の魚を水俣の人が食べ続けていたということは、東京や他の地域にも流通していた(私たちも食べていた)のでしょうか。もしそうだとしたら熊本以外にも患者さんがいるのではないでしょうか。
回答 土本
この話はよく水俣では出ます。水俣の魚は熊本に行きますから、熊本の市場からどこかへいくことが考えられますので。特に東京とまでとは言わないのですけれども、地元の方々は水俣の魚は熊本へもどんどん送られたんだから、熊本の魚好きの人に水俣病が出て不思議ではない。しかし行政としては汚染区域としては水俣市と芦北と鹿児島県の出水と決めているわけですね。とても熊本の市内に病気があるという想像力を働かせることは出来ませんから、現実には熊本、東京に水俣病の患者が出たということは一切ないわけです。
質問五
水俣病の認定は症例だけが決め手であり、その人の食生活や職業(漁業)などは参考にはされなかったのですか。
回答 土本氏
まったく当然な質問だと思うんですけれど、その人たちの生活歴から食生活の状態まで聞いて参考にすることがもっとなされるべきだと思うんです。これは特に患者さんから批判がある事柄なんですが、同じ家で同じものを食べながらある人は認定され、ある人は棄却されるということがそこかしこに出ております。たくさんの人が生活歴を提出しているんですけど、症状だけで診て、「これはほかの病気で説明が出来る」というかたちで、認定を少なくしょうという意図のもとに、棄却されている人がたくさんいます。これはやっぱり認定審査会なるものの性格が“排除”の方向にありますから、そうなっていくんだと思います。非常に残念な事です。
質問六
行商ルートで鹿児島まで水俣の魚が売られ発病した様子があったが、その患者さんたちはまったく救済されていないのか、されていないならひどいと思う。
回答 土本氏
ほとんど救済されていません。魚を扱う商人は水俣の魚市場に揚った魚を積み込んで奥地にいくわけです。これは水俣病があるころからそういうふうに魚は動いているわけなんが、奥地の人で自分の体の不調を水俣病とむすびつけられないということも、一面はあると思いますけど、行政が行商ルートを調べるという方向に一度も動いたことがありません。原田さんなんかは行商ルートを通じて魚を多食した人を一斉に調査すべきだという意見をもっておられるし、そういうところの症例があれば率先して診ようという態度をとっておられますけれども、そういった魚を多食した人の状態を、行商ルートを通じて探すということは、意図的になされておりません。
質問七
ドキユメンタリーと客観性~科学をどうとらえながら土本監督は対象に迫ったのか。
回答 土本
映画方法にはいろいろありまして、一つ対象をとらえて突っ込んでいく場合にも編集上の技があり、いろんな文章の技があり、本当でないことも本当らしく見せることが充分出来るのが”映画”なんですが、真反対の表現すら出来るようなことすらありますけれども。
私は証言力を確かなものにするために、音と画とそれから表情とかアップとかそういうものを通じて、観客が見てもこれは本当だろうと納得していただけるような映像をとらえていくと、それが同時に科学的だろうというように思います。私のこの第三部が出来た時このフィルムを環境庁の担当者にお見せしたことがあります。
魚を行商して歩いている人浜本亨さん認定をめぐってですね、妹さんが「自分の兄は魚屋をしているから魚を食べていないなんて嘘をついて、こんなふうに認定が伸びていく」と話をしますけれども、原田さんの診察もあるわけですけど、そのフィルムを見た時に環境庁の人が、「やはり現地へ行かないことには水俣病というのはわからないね。現地で人間を把握しないとやはり文章だけでは水俣病というのはよくわからん」というようなことを感想として述べたんですが、やはり映画を観て独自に判断出来るような客観的なものとして撮りたいという願いから作ったものが、そういう感想を引出したんじやないかと思います。
質問八
今日の水俣病はどうなっていますか。水俣現地の現状などお答え下さい。
回答 土本氏
今日で第三部まで終りまして『医学としての水俣病』は一応終ることになって、それ以後の医学的に意図して作られたフィルムは私が知る限りできておりません。特に今日どうなっているかというを話しますと、県が二百五十人を対象に審査して百五十人の処分をすることを決めました。これは数年まえに決めました。それで何千人という申請者を、そのピッチで処分していくと二年後にはゼロになるわけです。
ゼロになった時に「水俣病は終りだ」と言いたいんだと思います。現在、患者多発部落から魚を食べ続けて体のおかしくなっている人が、二千五~六百人だと思いますけどまだ処分されていない。
認定はどんな状態かと言いますと、毎回百人以上審査しながら、かっては六十%、七十%の認定と、保留という形が多かったんですけど、現在では百何十人中二人と、あるいは一人とあるいはゼロということすらあります。もはや認定という形で救済されることはありえないのではないかというぐらい状況で、水俣病の終息に向ってピッチをあげて幕引きに向っている状態です。裁判しているグループがありまして、原告として二千人ぐらいの被害者が「自分たちの水俣病について結論を欲しい」と裁判に訴えております判決が、今年の秋ぐらいに出るのではないかと思います。
そうなりますと認定ではなく裁判という形で水俣病がみとめられるという形になりますが、おそらく補償の方法としては患者とチッソとの協定書のように、千六百万円の慰謝料プラス年金というような形ではない、小刻みにランクをつけた「あなたは百万円、あなたの場合は二百万円、」というような低額のしかもこまかい慰謝料で一切解決という判決が出るのではないかと僕は思っております。
この映画にも出てきましたけれども、真黒いヘドロで汚れている水銀づけの海を、一応ひどいところだけでも埋立てました。それだけでも四十二~三ヘクタールあるんですけど、その埋立てたところを、環境を復元の、あるいは環境を新しく作りだすスペースにしようということで、目のさめるようなプランがめじろ押しです。
例えば水俣病の資料館を作ろうということが言われております。「水俣病を忘れないために資料館を作ろう」。これはあたりまえで良いことだと思うんですけど、いままで水俣病を隠し続けた行政が資料館を作るというのは、「どうなっているの」ということがあるわけです。それから二年後には国際的な環境博覧会的なものを催すという形で、水俣では水俣病患者は始末がついたというように、なだれを打って幕引きに向っっているというのが現状だと思っております。