『不知火海』人も病む。魚も病む。されど、海は死なず 上映会用チラシ 9月15日 杉並記録映画をみる会 <1990年(平2)>
 『不知火海』人も病む。魚も病む。されど、海は死なず 上映会用チラシ 9月15日 杉並記録映画をみる会

 『不知火海』(2時間33分・1975年度、青林舎作品)

 不知火海は九州の南東にある内海、たぐいない美しさと魚の宝庫として知られています。
 水俣病事件以来、この海は有機水銀に犯された『死んだ海』と言われてきました。果たしてそうか?
 不知火海を巡って見るとき、それは生きた「現役の海」であることを知るのです。かってすべての生き物、空飛ぶ鳥すら死に絶えたといわれるチッソ工場の排水口付近にさえ、そのヘドロの潮だまりに稚魚がキラリと姿を見せ、岩にはカキが住み着きはじめました。海は毒を抱きながらも、よみがえりを繰り返しているのでした。この映画は不知火海を『死んだ海』と呼ぶことに静かに抗議し、同時に病をかかえながらこの海に生きるひとびとを記録したものです。
 水俣病に冒されたひとびとも悲劇のなかに立ち止まらずに歩きはじめていました。医学的には『ものを喋れない』とされた重度の胎児性患者から「もっと良い車椅子をほしい」と全身で訴えられます。人と語りたい情熱が、医学の常識を破って会話を成り立たせているのでした。また、『頭の手術をしてほしい』と訴える胎児性患者の少女…彼女に医学者は「いまの医学ではなすすべもない」ことを語らなければなりませんでした。青春期を迎えた胎児性患者の夢がつぎつぎに打ち砕かれていく、それでもかれらは次の夢を育んでいくのです。「手だけで運転できる自動車がほしい」というように。
 一家ともに水俣病で全滅のなかで差別と罵りを受けながら、思い切った「豪邸」を建てた患者。そとに一歩もでないでこの家で余生を生きる…絶望の果ての選択でした。
 みずからを魚の生まれ変わりとして「海を取り返してくれろ」と海に祈り、魚を供養しながら、身近かの薬草を煎じて、医学の見放した病苦に立ち向かう女性の網元など、水俣病を背負ってなお希望を探る人びと。その誰もが不知火海を「わが庭」としていました。
 その内海のさまざまな漁法を追うカメラは、行くさきざきで病んだひとびとに出会います。有機水銀はよみがえる海の中でなお毒性を失わず、さらに患者を生んでいるのです。不知火海の奥深い天草の離島に、水銀に汚染されたまま、救われず死んでいったひとびとの墓標がありました。その島影の海もフグ漁の最盛期、白帆が群れなしているのでした。 製作高木隆太郎、撮影大津幸四郎、一之瀬正史、録音浅沼幸一、解説伊藤惣一。