私の天皇制体験 集会用メッセージ <1990年(平2)>
 私の天皇制体験 集会用メッセージ

 今回の集会に連帯の挨拶を申しあげます。この集会へのメッセージに、私ごとを申して恐縮ですが、お許しください。
 私は小学、中学時代、敗戦近くまで、皇居に、歩いて5分とかからないところに育ちました。その麹町小学校で叩きこまれた天皇制についての教育は、徹底を極めておりました。百数十代の天皇の名称、教育勅語のみか男子には軍人直諭まで暗記させられ、その出来、不出来が、成績の評価の中心軸でした。天皇を現人神(あらひとがみ)という神格だと教えられ、それをいささかも疑うことは許されませんでした。やや成長するに従って、その人は大小便をされるのか、いかにして世継ぎを作られたのか(あえて敬語を使います)それすら質問することははばかられることでした。土地柄、天皇行事には日の丸の小旗を持たされ、歓呼の声を上げるため最前列に並らばされるのですが、天皇の通過のときは頭を低くし最敬礼させられるので、ただの一度もその顔をみたことはありません。教師が「盗み見すれば、恐れ多く、目がつぶれるぞ」と真顔で戒めました。
 戦争のさなかに勉強することすらもどかしく、早く成年になり、天皇の兵士となってお国のために戦いたいと焦りました。戦死をも厭わないことが男子たるものの本懐と、私世代は、全身に天皇制を刷り込まれて育ちました。
 理科や植物、動物のことを学ぶにも、ことごとく神といわれる天皇の生理や生殖が一体どうなっているのかの疑問にぶち当たります。どんなに世界観を作ろうにも、天皇の存在は、一切の科学的発想を拒むものでした。理性を持つこと自体禁じられたのです。それがたかだか45年前の日本でした。
 敗戦後、顧みてどれだけ悔しく、情なく、天皇制を憎悪したことか。どれだけ私たちの前の世代の大人や教育者を否定し、蔑んだことか。と同時に自分の無意識の世界にまで染み込んだ天皇制の匂いに、戦慄したことか。その私も、大人の世界に今あります。
 戦後、天皇制は生き残り、戦犯は日本の宰相に返り咲き、あの見るだに劣性遺伝の権化のような皇太子が、平成の天皇に即位するという日を迎えるのは、戦中体験を持つ私たち世代の慙愧に耐えないところです。ここかしこで語られている危機、その諸悪の根源は天皇制の温存を抜きにしては考えられません。
 いま幼年時代、少年時代の多感な子供たちに、かりそめにも天皇を容認し、親近感を持たせる挙動があってはならないし、問われれば、その持つがぎりの反戦、反天皇制の体験を語るつもりです。 幸いなるかな、あの時代の証言者はまだ「若き老人」としてこの世に存在しています。これから声をあげても遅くはないし、証言する義務があります。身体のすみずみにまで反天皇制の神経がゆきわたるように、私自身、毎度毎度、自分の原体験を洗っていくつもりです。「記憶せよ。そして語れ」と自分に言い聞かせいきたいと思います。
 この集会に、実りあるよう願っております。