土本典昭のみ
土本
当初は『わが街わが青春ー石川さゆり水俣熱唱』の未発表部分を含めたオリジナル版と『水俣病とカナダインディアン』上映を予定しておりました。それを七月ぐらいに訂正致しましたが、一部のご案内には前のままのプログラムが掲載されましたことをお詫び申し上げます。
『水俣病とカナダインディアン』については最終回の『水俣病その三十年』で短くふれておりますので、それを見て頂きたいと思います。『わが街わが青春』はひっばりだして見たんですが、フィルムを予算の都合で白黒で撮っておりますし、編集でフィルムを相当汚しておりまして、とても見て頂ける状態ではありませんでした。今日の上映する作品で一応一つの世界は描けていると思います。とくに『水俣病その二十年』とかさねあわせますと、後で上映します『わが街わが青春』は胎児性患者が成人式を迎えた頃の映像でございますので、『水俣病その二十年』と『わが街わが青春』であの時代のことを見取っていただきたいと思います。どうもお待たせしました。
土本
水俣の最近の情勢についてお話します。僕が最近連絡を取ったのは、六月の上映会に来て頂いた緒方正人君なんです。彼はいまの和解の動きについて「まったく魂をうたない、どこにも心に触れるものがない、こういうものは被害者にとって無縁だと自分は思う」と言っておりました。それと同時に「和解のモデルが出来た後に水俣での申請者が、そのモデルにしたがって動かされていくのではないか」と憂慮しておりました。
これからは数多い輪切り的なランクに別れて行くだろうと思います。一九八七年一二月に熊本の第三次訴訟の一審で、たいへん見事な勝訴をとげています。その中味で国県の責任もはっきり出されているし、認定審査の基準も狭きにしっするということで国’県・チッソに対する司法側の見解が出ております。
しかく国はあくまで責任を認めないという形で動いていると思うんですが、彼はそのことをいままでのいきさつでピンと解っていて、「やむおえない、これから人々がそういうように動くのは流れとしてはあるだろう、しかしそれは絶対に恨みをはらすことは出来ない」と緒方君は言っておりました。
土本
いろいろ質問を頂きましてありがとうございました。『わが街わが青春ー石川さゆり水俣熱唱』の感想的な質問があります。どの方も現在胎児性の若い患者はどうしているかを問うておれられるように思います。一つこまかい質問かもしれませんが非常に大切に書い くて頂いたので一つ読ませて頂きます。
質問一
患者さんと共に支援の方々がたくさん協力して作り上げた様子が至るところでみられました。ステージで主催者の挨拶の時、感動で倒れるようになった鬼塚君を原田先生が行く前にステージの後で支えていた人はいたのでしょうか。
あらかじめそこまで準備していたのでしょうか。準備して臨んだたとしたらとてもすばらしい仲間にに支えられて実現されたものだと思います。あらためて感動しました。準備の段階のご苦労を聞かせて頂きたいと思います。
回答 土本
それはまったくそうなんです。いまもいっしょに仕事をしております山上徹二郎という青年が、スクリーンの後に並んでおりました。
彼が泣き出すのも非常に突然でした。ちょうど挨拶の文句が「天草にも同じような仲間がいました」という言葉にさしかったところで、これは映画の中でオルゴールを聞いている女の子のことですけれども、そこで鬼塚君は泣き出してしまったわけなんです。そういった予想は映画としてはまったくしていませんでした。
質問二
石川さゆりを呼んだのは石原慎太郎の肝いりと言いましたが、野党議員はこういうことで患者の応援をしなかったのでしょうか。『さゆりオンステージ』でがんばった若者たちはその後どうしていますか。
回答 土本
ちょうどその当時石原慎太郎が現地に乗り込んで、環境庁の長官はなかなか現地に来ないんです。
何代もの環境庁長官が水俣行きを求められたんですが、大石長官のあとで、三木さんが行き、そのあとはいかなくて、石原さんだったと思います。胎児性の若い患者との話し合いのなかで、「どういう仕事を君たちは出来るか」「どういうことが望みか」という時にとっさに出てきたのが石川さゆりを呼んでショーをやりたいということだったんです。だれもが予想外なことでしたが、そういうことをしたいのかということを受け取ったわけなんです。石原長官としては「自分がホリプロの社長と親しいからその事を進めてみよう」ということになりました。このショーには石川さゆりのギャラは含まれておりません。ついでに九州でいくつかの公演をセットして水俣に来てくれました。石川さゆり以外の楽団員の費用その他は切符からはじき出したものです。会場の文化会館は市の設備なので、無料にしてほしいと頼んだんですが、一番安い値段で開放してくれただけで、その企画に市は後援もしなかったという背景があります。
野党の人はどうしたかという質問があります。地元には社会党の馬場昇氏がおられまして、非常に政治力のある方ですが、こういった催しとクロスすることはありませんでした
質問三
『わが街わが青春』はこれまでの作品とくらベソフトなムード音楽作りをしていると思いますが、テレビ放映を意識してのものでしょうか。媒体を意識してのことでしょうか。また主催した八人の胎児性の患者さんのその後を知りたいです。
回答 土本
この作品はテレビに出したんです。時間的にも一時間枠に入るように作った作品です。映画として一時間十分くらいが適当ではないかと思って、映画にするつもりで初めは考えていました。その時の僕たちの仕事に対する一種の支援者として東北新社の社長が「一切の経費を持つから撮りなさい」ということでテレビ放送まで段取りをして頂いたんです。
この映画はテレビの聴視者にどういうふうに水俣のことを届けようかということで作ったフィルムです。ですから水俣病事件の象徴である若い患者さんたちが二十歳になって、どのように人々に自分たちを見て欲しいかという意味で、それが伝わればいいと思ってああいう構成にしました。
石川さゆりさんは熊本の出身ですけれども、水俣で出演することは大変に勇気がいった後で聞いています。「水俣病には近づくな」というのがいわゆる芸能関係の方々の暗黙のうちの一致というのがあったように思います。ですから水俣ではいわゆる水俣病事件にからめてこういう催しがされたことはありません。
胎児性の人たちがどのようにしておられるかということですが、いまでも本当に仕事をしようという気持は皆さん持っておられると思います。しかしチッソの側も市の側も進んで仕事を作ることはしておりません。『若い患者の会』に渡辺君という青年がおります。
胎児性というよりも小児性の患者だと言われておりますが、彼がいま仕事を得て港で働いております。どういう仕事かと申しますと市の屎尿を沖に捨てる船の出入りをチェックする仕事をしております。いまから五年ほど前から紙硫きを考えまして、『はぐれ雲工房』という名前をつけてやっておりましたが、なかなか胎児性の方々のスピードでは注文をこなしきれないこともあると思いますけれども、現在胎児性の方々はそこに働いておりません。ひとことで言ってしまえば、いま胎児性の方々に仕事一つ作れないという現状だと思います非常に残念です。
質問4
前回、映画を見たときも感じたんですが、水俣病患者にたいする周囲の感じはいかがでしたか。特に胎児性患者はかわいそうだという気持が強すぎて世話をやきすぎる様子がみられます。『わが街 わが青春―石川さゆり水俣熱唱』は胎児性患者さんが、自分たちが保護されていると感じたきっかけとなっている様子でした。あまりにも胎児性患者の世話をやきすぎた結果、自立をさまたげているのではないかと疑問をもったものですから。
回答 土本
この映画を撮っていることは知っており、一回見たのですがあらためて今日は新鮮にみました。今の教育についてご質問にお答えしますと、『わが街 わが青春―石川さゆり水俣熱唱』の撮影の時に、海岸で達純くんに質問している先生がいました。西先生というのですが、彼は週に二回づつ巡回しています。達純君はほとんどのことをしっているんですね。特に「世界」という言葉がでたのは。カナダインデアンの水俣病患者が水俣に来たときにあそこが見学軸になっていまして、彼をとりかこんでカナダインデアン達が彼をみたということがあると思うんです。いろんな意味で世界をいうことを知っているわけです。
テレビも何回か壊したり、かれは株式に詳しいんです。どこの株があがったとか、数学はあまり得意ではないと西さんからきていますが。
それから、『わが街 わが青春―石川さゆり水俣熱唱』の中でオルゴールをもっていたのが。「無辜なる海」に出てくる岩本真美さんです。「水俣病30年」に2ショットぐらい一番大きくなったときのショットがありますからみてください。
それからあの子のことで過保護とはいえないとおもうんですね。横浦島じしんが部落のなかの離れ島のなかの離れ島で、こおいうこをちっともいじめないんですね。大事にするんですよ。大事にするのが普通の光景になっているんです。過保護というのはちょっといえないと思います。
質問五
今日作品を二つ見て、『水俣病その二十年』も良かったですが、『わが街わが青春』はいままで僕が見てきた土本監督の作品のなかで、みずみずしくて、前向きなみたいな感じの人々の動きを追っていて非常によかったと思います。
日本の高度経済成長とか七十年万博とかがありましたが、土本監督は万博をどう思っていらっしやいますか。僕は岡本太郎が大好きで、彼は万博で『太陽の搭』を作りました。僕は作品としては良いと思いますが、作られた背景のことになると判断がつかない面があります。それに対して水俣を描いてきた土本さんの立場から『太陽の搭』はどう考えられるでしょうか。
回答 土本
自分の実体験からしか言えないですけれども、万博の時に映像の展示が各館で必ずありました。僕たちのような短編映画とか記録映画をやっている人間から見ますと、桁はずれの予算が組まれていました。展示館に一つ一つテーマがあって、そのテーマで世界中を撮影していくスタッフがあったり、何十という映像が生まれました。
私は同じ時期に水俣を知ったんです。だから高度経済成長のシンボルのような万博からずり落ちている問題の方に、目が向かざるを得なかったということです。万博は見に行っていないですし、僕にとですが、万博の出入口でカンパを訴つたえたら警官に規制されて出来なかったんです。各都市の大通りでは何事もなく出来たんですが、日本の高度経済成長を全面に出して、水俣病のような恥部はなんとか押え込もうということが非常に露骨だったと思います。