差別都市としての風景 「同和教育」 N0.355 10月25日号 全国同和教育研究協議会 <1991年(平3)>
 ことし七月、四年ぶりに水俣を訪れた。やはり景観の変貌におどろかされる。
 その第一は、なんといっても水俣湾の埋め立て事業である。総工費二百八十九億円、総面積五十八ヘクタール。水銀ヘドロを浚渫して埋め変え、その上に土を盛るといった工事としては、世界に前例のない規模といわれる。だが、各地の臨海工業地帯の土地造成を見てきたものには「たったこれだけの埋立てか」とおどろくのである。水俣湾の漁業禁止海域の広さからくらべれば、海を埋立てたというより、大きく潮の引いたとき露出する黒々としたヘドロの露呈部、もともと船も坐礁する陸つづきの洲の部分を埋めたにすぎない。水俣市民にとっては水俣病の象徴的「恥部」をハイレグ程度に覆ったとしかおもえないだろう。汚染の除去が目的なら学術調査の結果ははるかに広域であり、ヘドロは湾外にも拡散している。市の面目を汚したマイナスの風景をドロ沼に変えただけだ。しかも平均六メ-トルの厚さのフニャフニャのヘドロ底質の地盤は毎月数十センチずつ沈下している。構造物は建てようもなく、当面は縁どりに竹林を植える事業と、地ならししながら使えるテニスとゲートボール場くらいしかあてがない。盛り土と雨水だまりの沼の「ひろば」はこんご十年はいかんともしがたいという。
 患者は水俣病の「現場隠し」と見抜いている。「ここは水俣病の死者の墓場だ。『環境創造』だの『国際環境会議』だのとイベントはゆるさない」(緒方正人さん『意志の書』)というのもうなずける。たしかに死臭が臭うような風景だ。目的が恥かくしでは、市民も愛着の示しようがなかろう(むろん土建業は別だが、それも大手の下請けになる)。
 第二に市の中央の景観のむごたらしさである。老舗街にあった古風なデパート、衣屋の倒産の跡地に、近隣最大のパチンコビルが目下建築中である。公共サービス施設にもっとも適した超一等地であるところから、革新の川本輝夫議員(患者)は県の公害部門などの地方機関を誘致せよと市長に提案したがいれられなかった。商店はチッソ系の協組の大型化と、県外資本のデパートの進出のあおりを受けて倒産続出、有名な鮮魚店までも売りに出され、地元はほぼ虫食い状態にされた。もともとこの街なかには遊園地、公園もない。無計画な都市化の惨状は目を覆うばかりだ。人は「また恥部のできるとばい」という。パチンコ屋のことではなく市の空洞的文化水準の風景としての言いかたで、だ。
 第三に町なかの病院、医療機関の目立ちさ加減である。高層ビルは個人や私立病院である。市民の高齢者比率は水俣病発生当時の三倍になり、老人病の患者と水俣病患者がこれらの病院をささえている。早朝から電車やバスが通院者をここに運ぶ。「水俣病の首都」ゆえ隣接の町、不知火海の対岸や離島からも「健康被害者」がくる。フェリー埠頭からのタクシーが着き、病院界隈の食堂は人影が絶えない。工場、学校への人の流れを動静脈にたとえるなら、病人の流れがリンパ腺のようにひっそりと、しかしとぎれもなく続く趣だ。だが通りのどこにも水俣病関係者への案内はない。水俣病は市の面目上、恥ずかしいのだ。 市の景観を変えているのにチッソ本体がある。その工場の諸施設は短小軽薄化の波にのって、じわじわと現代化している。かつての蒸留塔や煙突群、水俣病の「証拠物件」であるアセトアルデヒドのヤグラ状の構造物もいつのまにかきれいに解体された。昔ながらの重化学工場風の巨大なボロ建屋(日本圭素)は数年前に閉鎖され、とりこわしを待っている。これが消えたら、市民はアッというにちがいない。チッソはその威圧的な印象をガラッと変えるからだ。ファインケミカル部門、例えば世界の液晶の六割を生産する部門がコンパクトな建物に納まっている。百CCで五十万円といった付加価値の高い商品が、変哲もない建物のパイプやタンクのなかでつくられている。もはや見学自由である。やがてオープンな大学の研究街のようなたたずまいになるだろう。チッソはみごとに蘇生した。
 平成になってから、市は「あいとやすらぎの環境モデル都市を目指して」と題する『環境創造みなまた』推進プランを発表した。この地域新興の核にドンと水俣病を据えるという。かつて、「チッソあっての水俣」といい、水俣病の病名から「水俣」の文字を削除しようとやっきになっていた市がまさに百八十度のアクロバッド的変換をしようというのだ。いったい本音はなにかと問いたくなる。
 プランの「基本的視点」の書きだしは「地域の現況」分析からはじまる。それは次の二点『敬遠される地域像』と『社会、経済的に疲弊』がそれだ。後者はさておくとして、『敬遠される地域像』とは、曰く「全国的に水俣病の町として認識され」、かつ「地域外の人びとに、健康を損なう地域であるとの誤解がある」(ママ)とするのだ。この地域像を『逆ブランド化』(ママ)して、水俣地域を「水俣病の教訓を継承し、学ぶ場をつくり、(水俣病資料館、環境センター、水俣湾埋立て地をてこに)地域環境の再生・創造の拠点にする」というのだ。専門家の知恵を借りた、県外国外むけ作文としかいいようがない。チッソが水俣病をひきおこし、この市を「水俣病の町」にした…そして地域は健康を破壊する環境汚染をこうむった。どこに「誤解」の余地があろうか。水俣病隠しから一転して、他人ごとの風に水俣病をブランド(商標)にして地域振興を計りましょうとは、あまりにも厚かましく恥しらずなふるまいではないか。
 国はいまもその加害責任を否定している。市は一貫して水俣病患者を差別し、行政あげて連携プレイを演じてきた。水俣市の広報に「水俣病」の字が登場したのは、その発生いらい二十年たってからだ。その人物紹介欄に患者を登場したのは、やっと今年になってだ。それも国際的に水俣病の啓蒙活動家として知名な浜元二徳さんにして、ようやく「市民権」を得たのだ。市の記録を辿ってみればいかに突然変異の「基本的視点」か自ら思い知ろう(ちなみにチッソのパンフのに水俣病への言及はいっさいない)。
 「水俣市の再生のためには、まず『恥宣言』からはじめよ」とは水俣病事件を背負ってあるいた元水俣病市民会議事務局長松本勉さんのことばだ。すべては自己批判からだ。 再生のシンボルにメモリアルタワーなるものが建てられる。慰霊塔ではない。いっそのこと『恥の塔』とでもしたら、人類にとって示唆に富む教訓の発信地となろう。
 (一九九一・八・三一)