映画『海とお月さまたち』とお話「不知火海について」 『真宗寺講義だより』 11月3日号 真宗寺仏教青年会
この映画を撮った動機の一つは、水俣の漁を見ているだけでは何か物足りなく、昔語りで鯛を釣ったとか、たこつぼや色々な漁をやった話を聞いていたがなかなか実際にそれにぶち当たらず、水俣病が起こる前の在りし日の漁の一端を撮ることがねらいで、もうひとつは漁師たちの頭の暦は陰暦であり、満月、新月、半月、こういったときには潮はどうなるのか、大潮、小潮、それぞれの潮に応じた様々な漁があり、お月さまについても出る時期、時刻と潮の状態をうたったうたがあり、女の人は潮の引いた状態に海草を取りにいく。このように三日月には三日月の、満月には満月の漁師たちの見方、わくわくとした潮のイメージがあることをわかってもらいたく、「お月様たち」と名付けた。
そして話の題名をなぜ不知火海ということにしたのか、その理由は不知火海の全体にいつも興味があり、全体をつかみたいという気持があるためで、最後に不知火海のどれだけに水俣病の痕跡があるのかについて触れてみたい。
有明海が潟という統一したイメージを持ち一つにまとめやすいことにくらべ、不知火海は部分的にしか紹介されておらず、記録も少なくその全体像が聞こえてこない。それは鹿児島県、二つに割れており、熊本県の見聞きと両方つき合わせてみないとわからない事情による。
不知火海は北部、中央部、南部では明確に特徴が異なり、北部は遠浅の海岸で内湾型と言われ、南部はプランクトンが多く、不知火海全体が潮の干満によってバキュームのように潮を吸い込み、吐き出し、中間部は内湾型と外洋型のプランクトンが巧にいりまじり、魚の産卵が盛んに行われる。また不知火海には自称を含めて日本一といわれる養殖が大矢野の車海老、長島のブリ、ハマチ、御所浦の鯛と三つある。
地元の人々はこの海が海苔ができるから貝がよる。貝が寄るから海老が寄ると言い、海苔、あさり、海老が内湾に最も生息しやすい形でいると考えられ、遠浅の潟の役割を考えると魚たちが孵化した後、えさにありつける孵化場として最適の形状と言われる。
さらに不知火海全体において水俣はどのようないい漁場であったのかということは、外洋の潮が内海の潮と入り混じり一番柔らかくなった所でしかもプランクトンが絶えず補給され得、湾の形状から言って特にイワシの産卵が多く、それを求めて太刀魚等が集まるということで、水俣の漁場は1本釣りやイカ、タコ取りの漁場としてマークされ、非常に多くの人々を集めてきたことがわかってきた。
鯛、海老、ブリ、ハマチに見られるように、海として考えられる三つの性質をほとんど全て併せ持ち、相互にその特徴における色々な生き物によって相補って産卵の地となり外洋のものが入り易く、孵化したものはすぐえさにありつけて育っていける不知火海は不思議なバランス、神秘な生命力を持って生き続けておりしかもかなりの生産性を作り出している。
また調べれば調べるほど、日本の沿岸漁業の原型がまだ不知火海には見られる形で残っており、うたせ船は1本釣りの残り方にしても個人や夫婦でやるような形の繊細な漁業がまだ残っている。
次に水俣病の影響がどの辺まで具体的に及んでいるかについて、二つの考えのメルクマールがあり、一つは水俣病の発生の北限である田浦に最重度の胎児性の患者がいたこと、どうしてここに重病型の子供の産れたか、その推察のヒントはある大きな網元が広範囲に人を集めて漁をしており、水俣病の一つの動きとして、人々の移動により一つの汚染源を中心に同心円的に広がって行ったのではないかと考えられる。
もうひとつの問題は毛髪水銀検査の結果が正しい限り不明なことで、御所浦の離島に最高の検査値の人がおり水俣病のような状態で亡くなられている。当時は水俣病多発地帯の人々は明らかに食い控えの影響で毛髪は抜け替わり、数値が下がっているなか、周辺部、山間部の人々に非常に高い数値がでていることを考えると一体どこまで有機水銀は色々な食物連鎖を経ても、及んでいったかということの説明がつかない。
また猫の狂い死ににしても汚染を別の形で、海のいろいろな動き、魚の動き、漁業の動き、あるいは漁をする人のそれぞれの働き口の移動を含めて見ない事には、水俣病は果たしてどこまで本当に広がったか、その全体像がつかめないのではないか、いまだにわからないところである。
不知火海は素晴らしい生命力を持ち続けており、時に驚くような復活があり、他の海と違い非常に多彩な姿が展開するだろうと思われ、また幸か不幸か水俣病のために汚染型の工場、企業はほとんど進出していない、出てこれない状況にあることからみても、水俣病発生以来35年の歴史を背負った不知火海というのは一面では自然性を最も残し得た。水俣病のために工場進出を食い止めて全体にはまだ海の匂いをプンプンさせた、素晴らしい内海として残っているというアイロニーもあるかとおもわれる。