書評『夢劫の人』香ごとくに石牟礼文学を「聴く」作業 『エコノミスト』 6月23日号 毎日新聞社
石牟礼道子の『苦海浄土』が発表された当時、その語りの豊かさと美しさに圧倒された批評文に、それを「聞き書き」にもとづくものとしたものが多かった。この草稿に最初に接して以来、彼女の文学を深く知る立場にあった『熊本風土記』の渡辺京二氏さえ、坂上ユキ女(ゆき女きき書き)や江津野老人(天の魚)の独白は聞きとりノートにもとずいて再構成されたものでは…と思っていた。氏が彼女に問うにつれ、それらが石牟礼道子のほとんど創作であることに驚かされた。問いつめる。「…すると彼女はいたずらを見つけられた女の子みたいな顔になった…。『だってあの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの』」。この発見をもとに氏は「この作品(『苦海浄土』)は石牟礼道子の私小説であり、それを生んだのは彼女の不幸な意識だ」とし、一個の幻想的詩人であって記録作家ではないとの立場から作家論を立てた。これは知られた石牟礼道子論である。運動に役立った「告発文学」ではないことも定説である。ちなみに『椿の海の記』には「水俣病」の文字は一か所しかない。遅れて水俣病以前の文章も発掘された。
その石牟礼道子論を今、どのように起こそうといているのか、スリリングでさえある。
この『夢劫の人-石牟礼道子の世界』は彼女の初期作品集『潮の日録』からの昨年までのいわば全著作を「香のごとくに『聴く』作業をした」(おわりに)という。その香の籠る文学的空間と聴くことに費やされた時間をしのばせるのは、巻末の河野信子作成になる著作年表である。限られた紙数に凝縮された年表だが、その作品の背景、契機、そしてその位置づけを、生活の寸描をまじえ、一気に読ませる魅力をもっている。彼女の個人史とその時代が太く且つ繊細に流れているのだ。本論の硬質な文体にくらべ、平明な文体が使い分けられている。彼女とともに谷川雁らのサークル村に集った河野信子ならではの簡潔な作品紹介と石牟礼道子の「歳月」へ透視があり、それが読み手にとっては、氏の本論との照応関係を促すものとなっている。同じ書き手で、このように対称的な文体は面白い。
石牟礼道子の生涯が「私小説」としてすでに三十年余の著述に重層している。河野信子のこの本の標題となった論文『夢劫の人』は、その年表が語っているように厖大な埋蔵量を秘め、容易に捉えがたい彼女の文学像を、河野氏自身の文学的世界と照合し、氏自身の文学論の自己点検を試みた「私論」のようだ。その河野氏の埋蔵量のすべてが予め語られているわけではない。石牟礼道子の世界の核心を「偏倚」に掴まえて、それを手がかりに自分の美意識を洗っていくといった趣なので、一読では難渋な印象は拭いえない。だがその原文の引用が新鮮に映じ、見事なので、つい原文全体を読み返したくさせる。そしてまた河野信子の論理を再読させることになる。その際、あらためて脈絡の利いた年表が有機的に作用し、さらに深く石牟礼道子の世界の読み込みを迫る。その往復は深化を促すのだ。
画家田部光子の『魚族の怒り』も、画文による「石牟礼体験」の追試行動が楽める。
巻頭の対談。碩学イリイチも彼女には少年のような憧憬をこめて語る。その基礎に英訳本の水準の高さがしのばれ、感性の伝達に淡い希望を抱かせた。だが同時に「足の裏ほど」地水俣から紡ぎ出された思考が、故郷喪失のこの人の虚心をついた感を禁じ得なかった。