記録の生かされ方について(亀井文夫論) 『解放教育』 10月号 明治図書 <1992年(平4)>
 記録の生かされ方について(亀井文夫論) 『解放教育』 10月号 明治図書

 記録文学とか写真、私の場合、記録映画といったたぐいの仕事は、それがある時代、ある人生の証言になればとの思いで作られる。少なくとも、それが作り手の願いであるといえよう。しかしそれは作者の「幻想」「甘えた願望」ではないかと思い返すこのごろだ。
 その記録の意図が、時代、世代の移り変わりにつれて、いかに読み取りにくくなるかということを、最近、上映会(杉並・記録映画を見る会)の活動の中で実感したからである。
 そこで取上げた亀井文夫の『上海』は、いわば戦中派のわれわれ世代にとっては、「厭戦映画」として評価の定まったものだった。
 曰く「日中十五年戦争・太平洋戦争の拡大につれ、当時の劇映画やニュース映画がいかにひとびとを戦争に駆り立てるための絶好の『アジテーション』として使われたか。その時代にこの映画が当時の検閲の目をくぐって、いかに戦争の空しさを訴えるものであったか」。さらにまた、「これらの映画の発注者の軍部がこの映画に期待したものを、亀井文夫は熟知していた。それを承知の上で、ナレーションや解説字幕には、あえてニュース用語や『時局』報道の耳慣れた言葉を使うことによって検閲の目をくらまし、一方、映像と同時録音のリアリティーをもって、観客の『解読力』にむけて、戦争の真実についての作者の意図を、そこにこめた」など。
 これらの評価は、戦争の時代を知り、亀井文夫の時代をかろうじてオーバーラップして育った私にはよく分かる。だが若い世代にはどうか。
 しばしば「映画に『解説』は要らない。映像に対する感性があれば分かるはずだからだ」とか。「映画以外のものを付与するのはよくない」といった声を聞く。それらは「作品は腐食しない」との精神で語られることが多い。はたしてそうか。私は疑いはじめている。
 映画は「見られる事によって映画になる」のであって、見られなければ、ただのフィルムに過ぎないという認識が私にはまずある。そして、その場や、その時代、そして観客層によっても感じられ方が違うはずだ。
 「映画の解読力を要求する」という言い方もあるが、なにか尊大に思える。私はそれに組みすることはできない。
 まわりくどく述べた。それというのも、この映画を中国人留学生たちを含む若いひとびとと一緒に見る機会があり、さらにその感を深めたからだ。
 中国人の参加者から、「反戦映画と聞いて見にきました」と期待した声で挨拶された。
 私は「残念ながら、日本の戦時中の映画のなかに、反戦映画はありませんでした。これはいわば『厭戦』映画で、当時としては精一杯の抵抗をしめした映画です」と断った。しかし、彼等に「厭戦」という言葉が通じただろうか。
 見終えての彼等には、どう見てもわれわれ日本人の「定評」には組みしない気色が見てとれた。また、若いひとびとのアンケートにも「これは国策映画としか思えない」という意見が二、三あった。そうだろう、だが違うと思う。予想通りの混乱が生まれた。
 この映画の解説を担当した私は、まずストレートに「この映画を外国人、とくに中国人が見た場合、『反戦ないし厭戦映画』とは読み取らないだろう」と述べることから話を始めた。
 亀井文夫さんから聞かされた、当時の軍部の検閲の項目を紹介しつつ、軍国主義一色の「文化」状況を述べはした。映画の作り手である私の想像力で映画を分析し、亀井文夫の意図と仕事の意味も話しはした。日本の若い世代にはある程度分かってもらえただろうが、だが中国人には「日本人の論理」、弁解の域を出ない解説と思われたに違いない。作品の「定評」なるものはその観客如何によって崩れるものだ。中国人にむけての批評的解説にはなっていないからだ。
 ひとつの映画の作られた時代をいかに追体験するか。亀井文夫の『上海』の場合、私のいささかの体験と、私の想像力をフルに働かせても足りなかった。つまり、生前の亀井文夫しか答を探せなかったことかも知れない。
 誤解を恐れずに言えば、だれにとっての「厭戦映画」かが、今日問い直される必要がある。それは映画の深い理解に立っての事であり、その作品の意義を貶めることではない。かつて日本を内側から洗う作業だからだ。
 私の場合を考える。自分の映画についても上映の「場」ごとに語りたい思いに駆られた。
 ひとつの作品の紹介にあたって、「適当に解読してくれればよい」で済むものだろうか。
 過去の記録が今に息ずくには、今の精神で暖められなければならないと思う。さしあたり、記録映画の生かし方として、記録者が自分の記録を顧みて、なお語り継ぐことから始めなければならないだろう。
 (九二、七、七)