なぜいま「東京」展か 『東京新聞』 5月17日付 <1993年(平5)>
 なぜいま「東京」展か 『東京新聞』 5月17日付

 水俣・東京展を少なくとも二、三年の準備期間をかけて開きたいと在京の有志で企画している。水俣病事件そのものが埋め立てられる昨今、考えると、私を含め水俣病に関わった方々の老齢化に気づく。胎児性水俣病患者もすでに中年期にさしかかった。
 最近、水俣湾を望む丘に水俣市立水俣病資料館ができた。水銀汚染の被害より高度成長の先端企業チッソの受けるダメージを恐れ、水俣病隠しに加担してきた市にとって、この展示収集には困難があった。市職員は東京の古本屋を探し歩き、三〇年前の古新聞を一枚三千円かけて買い揃えなければならなかった。水俣は資料の空洞地帯になっていたのだ。
 市民も水俣病患者には無関心で通してきた。だが水俣の新名所ができた今、地元の子らは「お父ちゃん、あの白い建物はナンネ?」とたずねるかも知れない。親にどんな答えかたができるだろうか。今なお数千人の申請患者が「おれの病気は水俣病じゃなければ何の病気か教えてくれろ」と悶えている。市の資料館にもその答えがないだけに深刻である。しかしこの類いの問答のパターンは、悲しいかな今後も世界中の公害の過程で繰り返されるだろう。
 たしかに水俣の原風景も変貌した。事件を喚起してやまなかった水俣湾の水銀ヘドロも、今は水俣病センター相思社「歴史考証館」のガラスの小瓶の中にしか残っていない。患者たちは「世のため、人のために」と、自分の生活具や漁具から書き付けの類いまで、惜しみ無く記録者や表現者に差し出した。東京に一極集中した諸資料、諸表現を水俣に還流できないか。それらを一堂に集めた「水俣大展覧会」ができれば、面白い展望も期待できよう。それが今の企画の私たちの初心であり、二一世紀の水俣に託す思いでもあるのだ。