健在なり、フランス労働者ドキュメンタリー映画の伝統 『プジョー労働者の闘い』上映用チラシ <1994年(平6)>
 健在なり、フランス労働者ドキュメンタリー映画の伝統 『プジョー労働者の闘い』上映用チラシ

 映像作品をその完成度や芸術性で考える習性を持ちがちな私に、この『プジョー労働者の闘い』はいくつもの示唆を与えてくれた。ある映画祭で一位の栄誉を受けているという。その慶びにもまして、労働問題、階級問題を正面から描くという“フランス・ドキュメンタリー”の健在を、今日、確かめることが出来た喜びが、私には大きい。労働者の現場からの、労働者自身の手になる自主映画製作の伝統(クリス・マルケルの映画集団「スローン」など)が生きていたのだ。「労働現場の映像は労働者が撮れ、あとはプロが援ける」。
 といっても、これはもちろんアジプロ映画ではなく、闘争ニュースフィルムでもない。いってみれば良質な「パンフレット冊子」型のドキュメンタリーに思える。私の勝手な区分だが、単行本的な完成した作品というより、見られることを第一義にし、手から手に渡されていくパンフレット型の作りに徹していると思う。それでいてヨーロッパのドキュメンタリーの水準をクリアしていることが頼もしく、日本の映像作家にも刺激的なはずだ。
 このビデオは、登場したひとびとにも、あらためて次の闘いを考えさせる「思索のパン種」をたっぷりと仕込んでいる。例えば、八九年の闘いに対比し、六〇~七〇年代の闘いの映像を使って、その闘争の違いと、その間の職場の労働の質の変化を分析している。二〇年前の「手」を極限まで酷使するチャップリンの『モダンタイムス』型の労働から、八〇年代、ロボットによる流れ作業の時代の脳神経の酷使へ、さらには現時点、チームワークによる生産性の向上の押し付けによる「人間性破壊」までの質的変化を、あの「パリの五月」…あの六〇年代後半の世界的な大衆反乱の時代にまでさかのぼって説き明かしている。このフランス自動車産業労働者史に目配りした闘争記録であるためか、フランスでは単なる闘争記録フィルムをこえて知的でかつ実践的な討論を喚起する映像たり得ているだろう。だが日本での公開に際しては、その消息の解説を添えて欲しかった。賃金に関してのフランの円換算がないのももどかしかったが。
 フランスの経営手法にトヨティズムが採用され、労働者を過労死寸前に追い込んでいる事情も読み込まれていて、日本にも物言いたげなシーンがある。まして外国人労働者問題については日本と同一線上の問題提起がなされ、しかも年期が入っていた。
 日本ではPR映画以外、工場内はなかなか撮れない。労働者側から撮る映画では、企業の「撮影禁止」の柵を超えられないのがつねだ。ライン労働のディテールをこれだけ撮っただけでも、フランスドキュメンタリーの実力がしのばれる。
 私はこのビデオを止めたり、巻き戻したりしながら観た。フィルム映写機ではやたらに出来ない。サークル観賞にはこうしたビデオの方が便利かもしれない。例えば字幕を読むに骨が折れたら巻き戻してもいい。つまり賞味するのに工夫が許されると思うからである。