記録映画づくりと思想運動 反動的潮流に抗する批評を 『 思想運動 』 500号 6月1日号 小川町企画
私は思想運動の会員ではない。一読者である。しかし、会員に等しい開かれた参加を許されてきた。創刊五百号記念に発言の機会を与えられたことと併せ、ここに感謝の気持を述べさせていただきたい。
この「思想運動」が武井昭夫氏、高岩仁氏、松原明氏はじめ、極めて意識的な方々によって、映画、とくに記録映画を巡り、思想的実践的な教育、学習活動の場を作ってこられたことを、私は特筆したい。
七十年代の「試写室」運動、八ミリ映画の自主製作、そして私の場合、八十年代末の『よみがえれカレーズ』製作・上映運動が、記憶のなかで連続している。そして高岩氏の記録映画、松原氏のビデオの活動、独自の映画の批評的学習会の今日に繋がっている。
私にとって、思想運動は映画の回路だけで繋がっているのではない。「社会主義」とか「革命」とかの言葉を体の血肉にしたものにとって、必須の学習文献として貴紙を読んで来た。いつのころからか社会主義の情報は他の媒体からはきれいに消えた。ヴェトナム、キューバ、朝鮮、南ア、イスラム世界、そして最近のロシアの共産党の情報は貴紙及び『社会評論』などからしか得られなくなった(寡聞にして他のメディアに暗いせいかもしれないが)。とりわけキューバのカストロ首相のものは愛読している。
しかし、気になる点もある。ソ連の崩壊、とくにペレストロイカ以後の激動を読むにあたって、思想運動の分析、解説はどこか状況の後追い的で、つじつま合わせの印象を持つ。
ソ連邦の崩壊を機に、それ見たことか叩くマスコミの論調に即応して、逐一反論することには成功していても、元気にはなれない。自分の世界観がひっくり返ったように思われた現実の社会主義の問題について、内面的な批評、精神世界の再構築に資するにたる自己批判、冒険心や勇気を呼び覚ますようなリアルな分析が欲しいと思う。とくに最近のソ連ルポやそれに関連するロシア共産主義運動の紹介には、配慮の度が過ぎるのか、微温さ、あいまいさがありはしないか。すくなくともシャープな批評の眼が感じられないのだ。
ブレジネフ時代に実見した旧ソ連の反社会主義、反共産主義者的な腐触は私たちの眼にも見えていた。それを看過していた自分を切開しなければ、いまの反動的潮流に抗する資質の鍛練は出来ないだろう。再建過程のロシアの共産主義者との間でも、離れて批判するのはよくないが、相互の接触を深めるなかでの対面的な相互批判は壮絶にやるべしと思う。