なぜあなたをお招きしたかったか ランズマン氏への手紙 『ふたつの世界の映画を観る クロード・ランズマンと土本典昭』 5月15日 ふたつの世界の映画を観る実行委員会 <1996年(平8)>
なぜあなたをお招きしたかったか ランズマン氏への手紙 『ふたつの世界の映画を観る クロード・ランズマンと土本典昭』 5月15日 ふたつの世界の映画を観る実行委員会 <1996年(平8)>

 なぜあなたをお招きしたかったか ランズマン氏への手紙 『ふたつの世界の映画を観る クロード・ランズマンと土本典昭』 5月15日 ふたつの世界の映画を観る実行委員会

 敬愛するクロード・ランズマン監督。今回、水俣病公式発見から40年の節目にあたって水俣病映画の上映をするに際し、特に貴映画『ショアー』の並行上映とトークをあなたにお願い申し上げたところ、快く来日をお受け頂き、まことにありがとうございました。

 ところで、話は細部に入り恐縮ですが、今回は私の映画にバランスがより多く配分され、申しわけなく存じます。私の映画は延べ16作、うち、水俣病シリーズともいうべき作品は11作です。全作品、それぞれ 3回づつの上映ということで、こういう形になりましたことをお許しください。

 この『ショアー』の企画にあたり感じたことは、このような20世紀の記念碑的映画が、なぜロングラン上映されなかったり、ビデオにもなっていないのかということでした。最近になって、昨年、日本で初公開されるまでの経緯を関係者から聞くことができました。それが1985年に発表されてから10年遅れの公開であったとは理解に苦しみます。
 …反面、「やはり、そうか」と頷くものもあります。私の今回上映される作品の幾つかは、問題の地水俣や水銀汚染の不知火海一帯で充分に上映されたとはいえません。現地でこの30年 延べ数千人ほどでしょうか。テレビはNHKはもとより、現地エリアのそれにすら放映されたことはなく、もっぱら自主上映運動によって支えられてきました。ましてフランス、イギリスほか海外での配給は極めて細いルートでした。その原因は商業ルートに乗ることはなかったからです。しかし、水俣病映画は需要の息はながく、ビデオはアジア各地の公害発生地に提供したコピーやその“海賊版”を加えれば、数十万人に見られているでしょう。上映ごとに苦戦した経験から、あなたが朝日新聞のインタビューに答えた「撮り終えた時には『見るもの3000人』と思った」という発言には微苦笑を禁じえませんでした。しかしあなたの10年間、テレビを含め延べ6000万人の記録には遠くおよびません。
 今回の企画に『ショアー』をもうひとつの柱にし、クロード・ランズマン監督のトークを聞きたいという発想は、「水俣病を繰り返してはならない」との思いや同じく、ホロコーストを忘れないという決意の次元ではありません。監督の映画に感動的な衝撃をうけたものとして、その映画方法論に学び、そして、あなたには、例えば私の作品を観客とともに検証して頂きたい、それは映画を志すひとびとへ示唆と鼓舞、激励になるに違いない。これが企画の眼目でした。

 1996年あと四年で21世紀を迎えます。この20世紀は後世、おそらく人間の驕りと暗愚を極めた世紀と振り返られるでしょう。ホロコーストと原爆、南北問題、そして水俣病を初めとする深刻な環境汚染を克服し得なかった今世紀の負の部分を誰しも認めています。しかし、時間は忘却と強いるものです。
 ユダヤ人絶滅の地、数十万人の死体を処理したヘムウノ、トレブリンカの現場が植樹により森に変じ、水俣病の原因となった水銀ヘドロの湾も埋立てられ、ただの野原に変わったように、目に見える世界は覆われ、証人も何時かは死に絶え、可視的空間や肉声による語りは、お互いの映画の中にしか残らない時代を迎えるでしょう。
 20世紀に映画という芸術ジャンルが育ち、映画に携わるものが、この世紀をいくらかでもフィルムにとどめる仕事をなし得たとするならば、文字や絵画、写真しかなかった時代に、多くの歴史を記録してくれた先人たちにすこしは顔むけができます。

 情報過多ともいえる現在、歴史的愚行が反復され、学習のいとまもありません。めくるめくように襲う危機情報の津波は短い間に、今日のニュースを古ぼけた時代遅れのものにしていきます。情報は次から次にと新らしいサスペンスを求め、瞬間風速を競います。その潮流のなかで、あなたが半日ががりで見るような映画の形式(教育のかたち)をあえて選ばれたとき、私はあなたから凄まじい現代批評を感じました。
 「例え一日かけても、向き合わなければならない類いの映画が、今、ここにある」という宣言…これは私にとって40年の映画生活の中で特記すべき“事件”でした。

 私はたまたま水俣病問題に釘づけされたひとりです。目を転ずれば、クロード・ランズマン監督、あなたはユダヤ民族の命運に対峙された。意図的に消されたユダヤ人絶滅計画をその細部に至るまで蘇生され、それを大河小説のような文体で描かれた。『ショアー』一作にすら11年の歳月をかけるという、比べれば中国の長征に匹敵する試みと言えるでしょう。私は肩を並べるつもりはありません。が、自分のささやかな同時代の体験から、信奉ではなく、感動をもってあなたの映画を追跡し得る人間のひとりと思っています。

 昨95年の秋、映画監督であり私の四十年来の畏友、黒木和雄氏から、『ショアー』の完全版(NHK衛星放送)のビデオが水俣の逗留宿に届けられました。黒木氏は情報の乏しい僻地にいる私に、「凄いフィルムだ」とメモを添えて送ってくれたのです。
 私はその時、水俣のヘドロ埋立て地を毎日眺めながら、水俣・東京展(本年・秋、開催)に出すべき展示製作に一年を予定し、水俣病の死者の遺影をスチール・カメラで撮っていました。これはアウシュビッツやカンボジアや沖縄、ヒロシマにある事例に触発され、水俣にも死者群像を残したいとの考えから始めた仕事でした。

 私は助手と二人で千数百枚の趣意書を水俣の犠牲者の家族に送りましたが、「もう忘れたい」、「今更、なんだ」という反響にたじろぐ日々がありました。水俣病患者であったために受けた精神的外傷がそれほどに深刻でした。「鎮魂に先立ちまず記憶せよ、そして祈れ」と訴えました。鎮魂だけでは、ひとびとは悲劇を忘れ急ぐかもしれないからです。
 『ショアー』の終章に登場する、ワルシャワのユダヤ人ゲットーの生き残り、イツハク・ツケルマンが重い口をひらいて「もしおれの心臓をなめることができたら、染みついている毒で、あんたは死んでいるよ」に近い心境を抱く被害者たちでした。そして遺影の撮影を拒否する言葉を聞きます。
 「わたしゃ遺影を撮らせてもいいが、東京にいる息子が許さん。嫁や孫にぁ(故人が)水俣病だったとは言っとらんけん」。これは『ショアー』の証言者の背後にもあった言葉だったでしょう。
 また、ポーランドの村人が死んでいく人間を運ぶ貨車や殺人用のガス・トラックを、手をこまねいて見ていたというエピソードと同じ、また見殺しに等しい政府、企業の所業を許した水俣市民の存在も、ランズマン氏にはお分りにいただけるでしょう。
 一方で苦しみを突き抜けた患者もいました。『ショアー』の証言者フィリップ・ミュラー氏の「生き残ることが希望だった」という思念や、妻子や身内と「一秒でも一分でも長くともに生きようとしていた」というアブラハム・ボンバの言葉が、そっくりそのまま水俣の被害者には届くと信じることができました。
 やがて患者のひとりが「ユダヤ人虐殺の“聖地”アウシュビッツに行きたい」というので、『ショアー』のビデオと書籍を熱心に薦め、患者の誰彼なしに『ショアー』を語りました。あなたをはるかから眺めながら、私があなたの映画を支えに、水俣での孤独な仕事をしていたことをお分り頂けるでしょうか。
 私にとって『ショアー』を解くことは、自分を解くことだったのです。

 あなた、クロード・ランズマン監督の卓抜したインタビューについては多くのひとびとがすでに語っておられます。私はむしろ沈黙の置かれかたについて言わせてください。例えば、通訳の間を待つ証言者の表情が、もし「外国語のフキカエ」によって喋る部分だけ繋がって、聞いている部分をカットされていたら、私が受けた人間的なテレパシーを、登場人物に感じ得たでしょうか。また、相関する風物のシーンの OFFに言葉がある手法によってさらに証言のさきざきへと耳を傾けることができる…。
 有名な床屋のシーン、ボンバ氏のシーンのハサミ捌きの音と絶句、その沈黙シーンが 3分半におよんでいました。(テレビなどでは15秒以上、音がない場合はスイッチを消されるからと私は教えられてきました)。この映画ほど沈黙の雄弁さと緊張感をもって、死そのものと向き合わせた映画はなかったのです。

 観客が自ら考えようとする限り、死者へ想像力を持つ間(ま)が、至るところに埋め込まれていました。それはある絶対的静謐(せいひつ)とでもいうべきものです。「とても言葉ではいいあらわせない」とする沈黙によって、私たちはかえってそれぞれの想像力を画面とオーバーラップさせ、「私自身がいま理解できているかもしれない…」と感応させられるのです。しかも、その心くばりは全編に緩急しながら一貫していました。あなたは心理学をきわめた臨床者、明晰な状況の解読者、そして観客の呼吸の波長を導く指揮者でした。
 黙祷時間のある映画…、証言と証言の間の沈黙。風景の喚起力、機関車驀進シーンや移動カメラの的確な立体化によって、反芻し、思考する空間と時間を与えられる。
 日本には「沈思黙考」という言葉があります。およそ映画の時空間とは対極にあります。深く沈み、黙して考える…それは死者への黙祷の時間でもあり得ます。その凝縮された沈黙なしには、死者たちを粛然とおのれの記憶に刻んでいくことは出来ないでしょう。

 今回を機に、あなたの『ショアー』を水準器にして私の水俣映画を見直し、現代の映画に負わされた可能性を検証するのに、あなたの胸をお貸しください。
 あなたはレジスタンスに加わった青春時代からいくたの辛酸を経てこられ、心身ともに酷使してこられたと聞きます。いまもフランス人の愛読する雑誌(日本では『世界』にあたると仄聞する)『現代』の編集長という、余人をもっては替えがたい貴方に、多忙の中、病後にもかかわらず日本に来て頂けるとは、望外でした。
 クロード・ランズマンさん。私はあなたを水俣にお連れしたい。水俣での最高のもてなしは海の夕景を見て頂くことです。古代から変わることのない絶景です。人間に絶えず問い掛けるものがあります。
 きっとあなたは不知火海を一望しながら、「こんなの美しい原風景を前にして、映画を撮っていられるとは」と私たちに言われるに違いありません。
 96,5,10