『ショア』のこころ 『熊本日々新聞』 4月7日付 熊本日々新聞社
クロード・ランズマン監督は映画『ショアー』に十一年の歳月と三百五十時間のフィルムを費やし、ようやく一九八五年に発表した。以来、テレビを含め世界ですでに六千万人に見られているという。一作にかけた時間と労力は映画史に残る記録である。
この映画はヘブライ語の原題『ショアー』の意味するようにユダヤ人の絶滅、破局の記録である。映画の主な舞台はあまり知られていないポーランドのロシア国境にちかいヘウムノ、トレブリンカという全く絶滅だけが目的の収容所である。アウシュビッツには強制労働の部門があり、虐殺から免れた人もあり得たのにくらべ、これら絶滅収容所では生き残りはあり得ない地獄だった。しかも、これらの施設は証拠湮滅のため焼却、破壊しつくされ、跡地には植林すらされた。何もない現地…映画にはしがたい題材だ。選ばれた方法は記憶の表出に徹することだった。
クロード・ランズマン監督はユダヤ系フランス人として対独レジスタンスに参加した。だが戦後ながいあいだこの事実を知らなかった。この映画化にあたり生き証人捜しは至難だったようだ。この絶滅収容所がひとびとの記憶から抹殺されていた理由のひとつには生存者が奇跡的にしか残されていなかったことによる。しかもその生存者自身、その名状しがたい絶滅の記憶から逃れ、むしろ忘れる事を望んでいた。撮影時、三十年余の空白をおいての証言には「助産婦のようにしてその語り出す言葉を待った」とランズマンはいう。
「何といったらいいか」という絶句をこの映画で幾人もの口から聞かされる。「文学にも、まして映画にも表現できない」とも。まさに人間としての極限の情景が語られ、ある部分のみ取り出せば吐き気を催おし、人間であること自体に深く絶望する類いのものだ。
だが、その死者たちは「世界がこの不正を知ったら、救いの手があるに違いない」という生死を超えた「希望」があった。生き残った証言者が背負っていた記憶の原点に死者のこの希望があったのだ。苦しみに満ちた映画だが死者の遺志は明確に伝わる…「耐えて見たが良かった」…『ショアー』のアンケートの感想の多くはそこを掴んだからだろう。
映画は九時間半という長編ながら、緻密にディテールを組み立て、受難の被害者側と加害者側の証言をつきあわせ、人物の実在感、質感、発声の抑揚など、まさに映画の描出力を駆使して芸術的にも魅了するものとなった。ドイツ人証人への隠し撮りといわれる方法も堂々と使われている。元の証人は「ガス室への誘導は原始的だがベルトコンベアとしてはよくできていた」など細部を語りだす。盗み撮りのために荒びたシーンだが、哲学者でもあるランズマンが時間をかけて聞きつくし、記憶から歴史に転化させたシーンといえよう。ここでは記録映画の常識もかなぐり捨て、一歴史家として身を処しているようだ。
ときに人物は悲劇に満ちて崇高である。映画はその冒頭、銃殺されながら弾が急所をはずれ奇跡的に生き延びたシモン・スレブニクが三十四年ぶりにヘウムノ再訪、十三歳のときに小船に乗ってドイツ兵のために歌を歌ったシーンの再現からはじまる。その美声を記憶している村人たち。彼は収容所周辺の村の教会の前で再会を喜ぶ村人に囲まれる。村から数百米離れた収容所でのユダヤ人絶滅を察しながら、見て見ぬふりをしてきた村人のいまにして噴き出る饒舌に、かれはひとこともなくほお笑んでいる。その群衆と受難者の構図は宗教画に匹敵する。かつて起きた悲劇に無関心だった人間としての現在の戸惑いと放心、ただユダヤ人ゆえ殺されたことへの不条理にあらためて「人間とは何か」を考えさせる。無関心は見て見ぬふりをした罪、「救助懈怠罪」として問い糾されているのだ。
いくたびも「もう勘弁してほしい」と押し黙る証言者たち、その口を噤んだ時間もそのまま提示された。沈黙がこれほど多い映画はまれだろう。語りと沈黙の間のモンタージュこそこの映画の美学だ。全編を通じて映画音楽はなく、移送列車の響きが地軸を揺がす。
死者はこの映画ではじめてよみがえった。さもなければ死者六百万人という伝説的数字だけが死者を覆ったであろう。一旦みんなと共に死のうと、進んでガス室に入った証人は「この不正と苦しみを、あなたは生き残って証言すべきだ」と懇請された。この映画で堰をきってその死者の希望を涙とともに証言している。死者の希望はここで映画であきらかになった。クロード・ランズマンの固執したことは死者をよみがえらせ、いま生きるわれわれの記憶に残し、われわれの死とともにかれらの死を終えさせることではなかったか。映画『ショアー』で「心に刻む」ことに腐心したランズマンに私は畏敬の念を禁じえない。