北の海沿岸漁業の試練のとき 『日本民族写真体系(1)北方世界との交流』 9月25日 日本図書センター <1999年(平11)>
 北の海沿岸漁業の試練のとき 『日本民族写真体系(1)北方世界との交流』 9月25日 日本図書センター

 この二十世紀、海のイメージは大きく変わった。公海がいわゆる「無主の海」、獲り放題の海であった遠洋時代は、二百カイリ時代を迎え80年代に終わり告げた。一世紀をぐるりとへめぐって、再び沿岸とその沖合漁業の時代に回帰した。水産資源の地球的な漁獲許容量が見え、各国の漁業は相互に資源を管理し、その海洋環境に責任を分かつ時代になったからだ。それは漁民ひとりひとりにとっても変化につぐ変化の一世紀でもあった。
 黒潮と北からの親潮の合流する三陸沖合が世界の三大漁場の一つであることを知ったのは日本が世界にひらかれた明治時代からであろう。鎖国の時代に沿岸漁村はすでにほぼ本州の北端までの海岸線にびっしり張り付いていた。かれらの前浜と沖合での漁業が主だったが、おかげで各地の特産物も多彩であり季節ごとの旬の味覚も味あうことができた。北の海の味覚、とりわけコンブ、スルメ、アワビ、ミカキニシン、荒巻サケ、干ダラなどの「北の幸」も年中味わえた。これらの海産物を支えた漁民が、その後漁村を離れ、大正、昭和にかけて北海道でのニシン漁場のヤンシュウ時代、サケマス北洋漁業時代のステップを踏んできた。下北半島の漁村の古老などで北海道のニシン漁場や千島、オホーツク海などを経験しなかった人はいない。故郷の前浜でのコンブ、沖合のイワシ漁、イカ釣りなどと北の海でのサケマス、カニ漁の出稼ぎとの組み合わせの歳月が大正、昭和を海で生きてきた老人らの生活史であった。いま現役の漁民も六十歳代が過半数を占めるようになった。若い後継者は水産高校を出ても漁村には残らない。ただ、北の海には郷愁をそそるものが残っているのは確かだ。お盆にあわせたコンブの解禁日などには帰省した夫婦や若者で前浜はいっせいに賑わいを見せる。だが、そのあとはめったに使われることのないプラスチック船が船だまりに白々と残るのみ。これからは都会からの中高年のUターン組や若い外国人「漁業研修者」たちがとって代わるかも知れない。いま漁家は試練の時期にある。この漁民個人史や沿岸漁業の歴史を辿り直し、目の前の海に問いかけることから改めて見えてくるものがあるだろう。