余白を語る「入院して酒を断つ『残りの時間』意識」 『朝日新聞』 12月29日付 朝日新聞社
じつは酒をやめましてね。いや、やめさせられたというのが正しい。昨年の六月、アフガニスタンの記録映画を完成させたあと、環境についての文学会議でソ連に出かけていたとき、急に頭の中がまっ白になるような感じになった。昼間から酒が飲みたくなり、キューッとやると、すっきりする。
映画人はだれでも同じだと思いますけど、私も昔から一年三百六十五日、議論しながら飲んでた。でも、だいたい晩酌です。昼間から飲みたくなるということはなかった。時差の関係で体内時計が変になったんでしょうけど、とにかくこれはいかんと思いましてね。友人が、そりゃアルコール依存症そっくりだよ、と強く入院を勧めてくれました。自分じゃアル中とは思ってなかったんですけど、症状が出た以上、治さないといけない。ついでに、あちこち診てもらおうという感じで三カ月間入ってたんです。
海の見える、なかなかいいところにある病院です。若い女性とか芸能人もいる。私はちょうど六十歳だったので、老人と女性中心の病棟でした。
意外なことに退屈する暇がないんです。朝六時から夜九時までスケジュールがけっこう詰まってる。木工とか体育とか。配膳(ぜん)やふろ掃除も当番で回ってくる。戦前は海軍の将校用の病院だったところだから、看護婦さんもピシッとしていてなかなか厳しい。
隠れ飲みの罰として「ガチャン部屋」というのもある。別にカギをかけて閉じ込められるわけじゃないんだけど、行動の自由が制限されるんです。昼間はおとなしいサラリーマンなのに、飲んだとたん、冷蔵庫にオシッコしちゃうような人もいたりして…・・・。
「ガチャン部屋」には入りたくなかったのでまじめにやりました。何が一番たいへんかというと、退院したあと、酒を口にしないことができるかどうかなんですね。ささいなことがきっかけになります。たとえば何かの席で乾杯の音頭をとらされる。そのときのコップ一杯のビールが危ないんです。凄惨(せいさん)な姿をたっぷり見てきましたから、あれから一滴も飲みません。今は断固としてウーロン茶です。
ずっと健康だっただけに、この体験をきっかけに、私も残りの人生の持ち時間というものを意識するようになりました。まだ、やりたい仕事が二、三あるんです。そのひとつは朝鮮民主主義人民共和国。もう二十五年間も新聞などの切り抜きをしている。じつは戦前、興南というところにチッソの新鋭工場があったんです。ある時期までチッソの幹部はたいがい「興南帰り」だった。そんなこともあって、ぜひ撮ってみたい。それから若い人たちと記録映画の塾のようなものも考えたりしています。
最後にひとつ。環境庁の局長さん、お気の毒でした。水俣の人は情け深いから、ああいうことがあると、患者さんのほうが責任を感じてしまう。しかし私は違うよ、と言いたい。よく汚職事件のときに渦中の重要人物が自殺して幕引きになってしまうことがありますが、あれと似たことを感じました。
世界を回ると、相変わらず水俣と同じような公害が起きているのでガックリさせられることが多い。我々のやってきたことは何だったのかなあ、とね。これはヒロシマ、ナガサキの反核運動の関係者も同じ思いなんでしょうけど。その意味でもいま、水俣をウヤムヤにしてはいけない、と思っています。